20230618②

今日は何があったかなーーー
今日は9時に起き、その後はダラダラとベッドの上で10時頃まで過ごした。
11時から14時半まではひたすら掃除をしていた。
13時くらいに石井君が出勤した。風呂掃除で髪ぼさぼさの状態で会った久々の石井君!
石井君は「中野ロープウェイ」と書いた、ビジョン・フリーゼのTシャツを着ていて、私はパグのTシャツを着ていたから「犬かぶりじゃないですか~」と彼は言った。
14時半くらいに石井君がアイスを買ってきてくれ、ちょうど1970年生まれの石井さんがラウンジに来ていたので、hanareのバイトのことを主に、アイスを食べながら話した。
そのときは私と石井君が4人掛けの席。石井さんが隣のソファの席に座っていた。
石井君はsunaoのバニラアイス、私はチョコミックス味を食べた。石井さんはhanareはどういうところか、誰が運営しているのかに関心を持っていて、運営しているのが建築事務所の方だと知ると益々関心を持ったようだった。hanareは1泊22,000円するというと、東京の宿泊施設の値段が急激にあがっているという話になった。
石井さんは「カド(to loved onesのイベントをしていた)行くか!」と言ってくれたが、私は図書館に行く用事があったので遠慮した。
その間石井君はタブレットで予約の管理をしているようだった。
その後15時から石井君は2階でチェックインの準備。

私は図書館へ向かった。図書館へ行ったのは、岸本さんにインタビューする際に、何か当時のことを思い出す資料があったほうがいいと成田さんにアドバイスをいただき、当時の地図や資料を探すためだ。
「奉還町 2013年 地図」とか「奉還町商店街 2013年」などという検索ワードを調べて郷土資料の棚で主に観光向けのまちあるきパンフレット、住宅地図、新聞の切り抜きを漁った。
その中でも、2008年の住宅地図は、当時の奉還町商店街のお店が細かく記録されており、とりいくぐるの部分は「松井青物店」だったり、カドのところは別のお店だったり、岸本サイクルや出水さんがしっかり確認できたり、奉還町商店街の現在と昔とで変わった部分、逆に変わっていない部分が見えた。また、2006年の新聞の切り抜き(商店街を特集したもの?)にはと郵便局の前の木の鳥居について書かれており、鳥居が注目を浴びる存在だったことが伺えた。
1980年代~1990年代の新聞の切り抜きには郊外型大型店舗の特集と、商店街特集どちらも併存していて、新たに出現した郊外大型店舗と、それにより衰退が進むまちの商店街の活性化に対する取り組みに注目する両方の視点があったのが興味深かった。岡山の中では奉還町商店街が新聞記事をまとめたファイルの上の方に出てくるくらいメジャーな商店街なのか?と思った。でもやはり1980~1990年代にかけて店舗の空き家化や廃業が目立つようになってきたらしい。
朝日新聞のデータベースで岸本さんが商店街の活性化に取り組む記事はなかったかと探していると、「奉還町商店街 岸本」というワードにいくつかヒットした。商店街の衰退の動きに伴い、岸本さんや森さんという当時の会長??が店舗を誘致したり、そのために家賃を大幅に下げたり、商店街活性化の取り組みをしていた様子がうかがえた。
住宅地図、2006年の新聞の切り抜き、2001年の岸本さんがのっている山陽新聞の切り抜きの3点をコピーさせてもらった。データベースの閲覧とコピーの許可のために、自然・社会・郷土資料のブースを横跳びするように行き来した。
コピー対応をしてくれた方は、図書館の閉館が18時なのに対し、私がコピーをおねがいしたのが17:40ごろだったからか、めちゃくちゃ焦っていた。というよりあれがノーマルなのか?ホップステップを日常的に使っている方なのか、移動に逐一「横向きに跳ぶ」動作が見られた。「はい、これで、スタートをおしてくださいっ」言葉の切れ目が多いスタッフさんが本を押さえ、私がコピー機のスタートボタンを押すという共同作業。終始ニヤニヤしていた。

その後、藤田君と合流し、3丁目と4丁目の横断歩道で分かれた。とりいくぐるに帰ると4人掛けの席に石井君が座っていて(手前奥)、カドのイベントのやつを食べませんかと尋ねると、食べたいですと言ってくれたので、石井君からいただいた1000円を携え、カドに向かった。カドにはヒデさんやこうがめさんなど仲良し常連さんという感じの顔なじみのメンバーが大きな机を囲んでいた。阿部ちゃんさんは「バイト初日だ」と言っていた。本当か嘘かはわからない。仕事を7月末で退職するのだそうだ。フリーでやっていくことも考えているらしい。
フィッシュアンドチップスとスパイス焼きそばとセビーチェを注文した。その間は上記の通り阿部さんと話していた。成田さんは接客をずっとしていた。

その後とりいにごはんをテイクアウトし、石井君と食べた。おいしいおいしいと食べ終わったタイミングでちょうど20代くらいの外国人女性がやってきて「ハロー」と声をかけてくれる。その後、増田さんが帰ってきて、ごはんを用意する。きんぴらごぼうとチーズ、カドで買った松江のクラフトビール。「それだけ!?」と驚く石井君と私。増田さんは昨日牛窓で大学生たちとワークショップをし、その後夜にずっとお酒やらお菓子を食べていたので、お腹がいっぱいらしい。私はスイカを、増田さんの分と私の分で分けた。石井君はスイカが嫌いらしいので食べない。4人掛けに座って、私はスイカを食べ、石井君はタブレット作業をし、増田さんはご飯を食べた。大体19時半くらい。21時まで、大学院の話や、住む場所の話、遊郭や石井君のベトナム怪しいお店体験談について話した。
増田さんが家賃5万の西大寺町の川沿いの家に引っ越すという話題(別館は仕事場との距離が近すぎていやらしい)から、東京との家賃の違い、シェアハウスに住むことの功罪などを話した。東京も、京都も(牛窓で関わっている研究室が京大の前田研究室)、岡山も楽しいよ!と増田さんが言っていた。
増田さんは毒があるという話もした。「とりいにはめずらしいタイプの人ですよね」と石井君。確かに。でも馴染んでいるのが不思議だ。正反対なようで反対ではない。同じではないけれど、なぜか話しやすい。合うところと合わないところの微妙な塩梅があるのかな~と思った。増田さんは気さくに話して下さり、誰に対しても一定の毒をもって、あっけらかんと接している印象がある。会話が終わって増田さんが帰宅したのが21時過ぎ。石井君が帰ったのが22時20分ごろ。キャンセルに伴う請求書発行の手続きをしていた。
その後私は23:30ごろまで作業をし、シャワーを浴び、今に至る。Onesceneが作業をし、先ほど帰った。藤田君に洗濯ネットを持ってきてもらう。
(1時9分)

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