20230906 牛窓

20230906(水)晴れ
今日は牛窓に行く日!朝起きて、8時45分ごろから30分くらい日記を書いた。その後は賀茂川によってどちらも5本くらい入って150円のゴーヤと茄子を買い、駅の中央改札付近で待ち合わせ。その後石井・志賀は花火隊でドンキへ。藤田・ひかるは食材班に分かれ買い物をし、合流の後10時55分の電車に乗って、邑久駅からバスで牛窓に向かった。

その後はついてkidoに荷物をおろし、館内を案内してもらい、片岡さんと竹細工職人の方と話し、牛窓海岸へ30分くらい歩いて向かった。とても暑い日で陽ざしが照り付けた。自販機も少なく藤田君の体調が少し心配だったが、途中で自販機で水やスポーツドリンクを買い、日陰で休憩しながら向かった。石井君は終始「釣りがしたい」と呪文のように繰り返した。
海岸について、足だけつかっていると次第に泳ぎたくなってきて、葛藤ののち石井君は来ていた服を水着にして肩までつかり泳いだ。奥から黒い雨雲が近づいてくるのがわかった。1時間くらい水遊びをして雨雲から逃げるように海岸を後にした。雨雲が思ったより速足で、雨雲に追い付かれないように焦る。Kidoで雨宿りをしたのち、小雨の中テレモークへ。観葉植物のお店に寄り、モリスケのシフォンケーキとテレモークカフェのドリンクをお互い頼んでソファ席で食べた。行きも帰りも海岸沿いを歩いて、みんなずっと下を見て魚を観察していた。石井君の「釣りが早くしたい」はどんどん回数が増え、今にも海に飛び込むくらいの興奮状態だった。実際、フグがいたり、30cmくらいのチヌがいたり、こんなに海岸すれすれの場所でも魚が見えるのだと私も興奮して海から目を離そうとしなかった。
牛窓は海岸に沿って、民家が並んでいて、洗濯物が干してあったり網が置き去りにされていたり、波が穏やかだからこそ、海と近接した暮らしがあるように感じられた。

その後16時くらいになり念願の釣具屋へ。初めて釣具屋へ入ったが、少し生臭い「エサ」というようなにおいがした。地元の大柄な兄さんは店主のおばあさんと会話をし、釣り道具(特に針)がいっぱい置いてあって石井君と藤田君は黙々と選んだ。買ったものを手にしてkidoに戻り身支度を済ませていざ釣りへ。海岸から戻ってくるときに歩いた民家沿いのテトラポットエリアへ、塀をまたぎポジションを構えた。
川釣り用の短めの竿を持った藤田君に同行。さっそくメバルの小さいのが釣れた。私は初めて生きた魚に触ったのではないだろうか。ぬるぬるしていると思って、逆方向に触るとざらざらとしていて、鱗の存在が感じられた。思ったより細かく、猫の舌のような肌触りで気持ち良さを感じ、鳥肌が立った。あとは、「肉」だと思った。小さい魚なのに、触るとぷにぷにと弾力があって肉厚だった。なまぬるく、ひれを左右に動かして身体の内部で運動していることが伝わった。その後も場所を細かく移動しながら、テトラポットの端、海岸すれすれのところを見て、小さな魚の群れめがけて竿を落とす。目を凝らして、観察するが、茶柱のような草が細長く黒い魚に見えて見誤ることもあった。実際、茶柱だった。途中、サヨリかと思われる細長い魚の群れが何度も通ったが、一回もミミズのようなエサには反応せず、メバルの子どもだけが訪れた。その後は、虹色の綺麗な魚(名前忘れた)が釣れて、そいつをビニール袋に入れて保管した。石井君はずっと同じポイントで釣りをしたが中々釣れなかったみたい。

19時近く、日没とともに釣りを切り上げ、カレーを作るためkidoに戻る。その日釣った虹色の魚は、最後は愛でていたが、あっけなく氷水で締められ、頭の脇を切って素早くさばかれた。卵焼き用のフライパンでカレー粉と片栗粉をまぶして焼いた。カレーとゴーヤチャンプルーを食べ、冷蔵庫のパルムで喉を潤し、身体を冷やす。kidoの縁側に座って風になびかれる。手と足を存分にひらいて開放する。石井君はkidoの縁側を心底気に入っているようだった。

夜は花火をした。手持ち花火は何年ぶりだろう。誕生日ケーキを持ってくる姿勢の低さで運ばれたロウソクに皆たかって、花火の先端に火をつける。バラバラの方向に手や足を出したり引込めたりする忙しい花火もあれば、まっすぐに強烈な白い光と煙を放つ花火もあった。空を見上げると文字通り満天の星空が広がっていて、120度くらいまで首を傾けできるだけ空の全体を見たかった。大学2年の夏に、長野で山中さんと道路に大の字に寝てみた星空を思いだす。あのときは流れ星が絶え間なく見えた。稜線の向こうに白くぼやけたもののまとまりが見えて、小さくも市街地が広がっているのだと思った。何度も瞬きをして、瞳をリセットして暗闇を補充し、小刻みにゆれる針の先端のような光を捉えようとした。まん中には、雲なのか霞んだものが見えて、「天の川かな」と石井君が言った。ひときわ強く輝く星も、家の電気のスイッチを一つつければ存在することすら気づかないわずかな星も、それぞれが全部、等しく懸命に震えていて、線香花火の最後にめいっぱい膨らんで落ちてしまう火の玉とおなじ切実さがあった。

私たちは、というより「釣りしてくるわ」という石井君に便乗して、23時半くらいから再び釣竿を担いで、船着き場近くの駐車場に陣を取り釣りを再開した。水面に、水中に何か光が動いているのが確認できた。前々日に尾道で、油画専攻の尾大生がペットボトルでウミホタルを掬った動画を観たせいで、同じように海中の生物が発光していることを疑わなかった。水面の穏やかな揺れに港の灯りが反射しているだけにも思われたが、いまだそこに生き物がいたことを信じている。

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