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汐待亭 竹田さん

汐町亭竹田さんと打ち合わせをさせていただいた。
そこで知ったこと印象に残ったことを箇条書きで。

○汐町亭は元々の名前「汐町亭」を受け継いでいる
○塩田の庄屋→郵便局→昔も飲食店 
 →だからもともと台所がある
  環境が整っていた、からやりやすかった。
○移住してきて、4日間で開業。
○廃屋含めたら20くらいある。
 奥に長い 表店舗 奥人が住んでる 
 →店やってなくても奥に人が住んでる状態。
○以前は軒先出店も。
 表掃除してその代わりに出店みたいな。
○「移住=転職に伴う引っ越し」
 行ってみないとわからない。
 →唯一無二<気楽に
   

「過去」

「メディアとかが『まちづくり』とか『まちおこし』とかの先っぽの部分だけしか取り上げてないから、自分たちはその過程を取り上げようと言っていたけど、

私こそ「表層」の部分しか見えていなかった。
前授業で学んだことじゃないか。

空き家だとか、空き家を活用したカフェだとか、まちに現れている今の結果に、
今目に見えて存在しているものに対してばかりアプローチしていた。

もっと長い目で見たら、
瀬戸田の「地域活性化」なんてもっと前から行われていた。
ここ2.3年なんかではなく。

インバウンド政策が2010年代に入ってから、ではなく、
本当は100年前から、うんと前から進められていたように、歴史は繰り返されていて、その動きをくみ取る必要がある。

私が見ていたのは「過去」ではなく「今」
瀬戸田の長い歴史に目を向け、
その途中で活躍してきた人、出来事を知る必要がある。

「過去」から「これから」を考えるんだったら、
昔はこういう風に盛り上がっていた。
→その途中の過程
→今の瀬戸田の移住者の増加とか、

大きな流れにもっと目を向けよう、と思った。

新畑商店に集う

なんだか、瀬戸田の日常に少し入り込めた気がした。

三原とか瀬戸田?向島?因島?にダンスホールがあって青年団が踊ってたこと。
青年団のダンスはタンゴとかルンバ??踊って男の人が女の人のところに来て誘うこと。
歌がうまいんよこの人はって松本さん。
瀬戸田には映画館が2つもあったこと。
昔は橋がなくて瀬戸田港からみんな来たから、
しおまち商店街は自転車も通れないくらい人で溢れかえっていたこと。
瀬戸田西小の用務員を務めていた姑さんの本を借りた。

ヤクルト一本とデコポン一個
いつも柏のおばあちゃんが頼むヤクルトは青い甘さ控えめ系のヤクルトだから、
久しぶりに赤い、甘〜いヤクルトを飲んだ。
デコポンを一個くれて、ストーブに当たりながらヤカンがヒーヒー音を立てる前で食べた。

顔がこまいね〜、こまいってわかるか?
あんた来よる? あんたってわかるか?
きよったきよった 来よったってわかるか?
ほんじゃけんのう ほんじゃけんのうってわかるか?
もうみてしまったわ、みてってわかるか?

わからん!?って
方言が出てくるたびに教えてくれたから、
今度話すとき会話に忍ばせてみようかな。

レジのとこの貼り紙。
「人生につまづくのが18歳、小石につまづくのが81歳」

「暴走するのが18歳、逆走するのが81歳」

誰が書いたんだろう、新畑さんが書いたんかな。
手書きがいい味出していた。

今度はあんぱんを買おうか。
またクリームパンを買おうか。

うじうじと緊張して行動に移せていなかったことがあったけど
悩むんだったら聞いてしまったほうが早い。
今の自分に足りないのはそれ。行動してしまえばいい。
と思ってぐんと行ったら昨日はいい感じになっだことがあったので、失敗してもいいからとりあえず、ぐん、といってみようと思う。

0円ハウスで夕食を

祥子さんの0円ハウスで先日獲るのをみたイノシシをいただいた。

イノシシが動いてたときから、
食べて自分の中に取り込まれるまで、
すごく貴重な一連の流れを体験させていただいたた。

ロースやヒレは焼いて。
ミンチにしてハンバーグで。
瀬戸田のレモンをかけたり、
隣のおじちゃんの白菜も焼いたり。
長畠さんのみかんジュースは食後のデザート。

イノシシと、瀬戸田の食がギュッと詰まった会だった。

アーティストさんや旅真っ最中の方が家賃0円で泊まれる0円ハウス。
個性豊かな、ほんとに個性豊かな方々と祥子さんと瀬戸田の食と。

帰りは猪が出るんじゃないかとヒヤヒヤしていたけど、
すんごい明るい月の光と、少し心許ない街灯と、自転車のライトに助けられながら帰りました。

帰り道の海沿い。
向こうの島の灯りが静かな海に反射して、
縦に長くキラキラと揺れていたのが、
また一層、瀬戸内海の穏やかさに気づかせてくれました。


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