日記(不定期)

2/2 インタビューを年表に整理しながら
①文脈について
最近作りたいものとかより深く見てみたいものがあって、増幅している、し続けてしまっている。

目の前で起きていることを自分の好きな文脈、理解しやすい文脈に落とし込めてしまうことがよくある、
寄せてってしまう。
それで「なんかうまくいってる」気になっている。

色のついてないものに勝手に色をつけてしまっていて、フィルターがきっとかかりすぎて
「じゃあそれは、これは一体どんな状態」という普遍的なものに立ち返れなくなっている気がするよ、
「本質」とはどこなんだろう?そんなものあるのか?

そうならないように気をつけなければ。と思いつつ、、ね〜

②場について
"開かれた場所を持つ"ことが良い思ってしまっているが、その割には自分の立ち振る舞いが開かれた場所向けではないのではとハッとする。
このテーブルに座って作業していることは正しいのか?
自分がどこにいてどんな態度を持ってこの場所にいればいいのだろう。
「ゲストハウス」
私がこの空間を「占有」している節がある。
私の空間ではない、訪れる人にとっての空間である。
それは一緒の共有空間。
この窓の外側から映る私はどのように映っているのだろう
あまり良くない態度になってしまっている、自己中心的な空間の使い方、自分の存在に1番気づいてないのは私、誰のための場所?
どう動くのが正解?

そもそも"ここは開かれた場所だ"とか"閉じた場所だ"とかいうのはあまりに一方的な判断で、一瞬のみ受け取ったイメージを誇張し、多面体のほんの一部しか見えていない状態だと思う。閉じてる"と"開いてる"のバランスは気まぐれに見えて意外と理にかなっていたり、操作されてたりするから微妙でよくわからない。
うーーーん、、、

考えすぎてしまう癖がある。
引いてみればほんとう〜に単純なことをねじってねじってよくわからないものにさせてしまって苦労することよくある!結果的に解ければまあいいのだけど!

追記:友達のnoteを見てなんだか元気になった
そうです、私は散りばめられている方が良いのです。
変な色をしてそこらへんに転がっていてよいのです。

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