スローロリス

海士町から泊まってくれる人結構いるのだけれど、今日は島のほけんしつってところでバイトしてるライターの方が来てくれた。

地元の人と外からの人と簡単に交わるのってなかなか難しいような気がするけどやっぱり私はそういう場所を作れたらいいなあと思ったり、思わなかったり。※

「カフェ」とか「宿」とか簡単に名前に落とし込められるものというよりかは、そのような「機能」を持った複合的な場所、窓と扉の空いたまちに開かれた場所、ができたらいいなあと思っている。

わりと名前に支配されているところがあって、「じゃあ結局どういう場所なの?」みたいな、一言で言い表せるわかりやすさももちろん必要なんだと思うけど、今の自分には何ができるかわからない。
きちんと手を動かしてないからだろうなあ。(1個ずつやっていけばいいんです、)
別に料理も得意じゃないしお酒もめっちゃ好きなわけでもないしお菓子とかもあんまり作らないし読書家でもないし、なあとか言って手を動かさない
「そこが一体何をする場所なのか」「具体的にどんな人が来てどんな行動を取ってるか」のイメージはあんまりない。

「専門家」にはなりたくないよなあ
てかいろんな場所が結局そこに集まる人の「ケア」にもなってるんだろうなあ
ケアするための場所を作ります、とか人が集まるための場所を作ります、とかじゃなくて各々自分の仕事を商いをしてたら結果的についてくるものだとも思うよねえ
「場」ってなんだろうねえ

(※自分は果たして本当に何か「場所」を持ちたいのか?だとしたらそこで何をするのだろう?漠然と「場」とか「空間」に対する興味はあって、そこにどんな人が集うのか、何が起こるのかということには興味があるのだけど、そこを「自分が所有する」自分が運営する必要はあるのかということ、ある程度関わる自分の手が届く(自分のやったことが目に見える(と思う))環境に身を置く、つまり雇用される形でも良いのでは?むしろそっちの方が楽なのでは?とかも思う)

そして場を持つのだとしたらそれは「私の居場所」になりすぎない工夫も必要、あくまでぼやけた軸のような人となり場を回して、自分が「これ!!」と特別強力に「やりたい機能」がないので、その場所の色にある程度合わせることも面白いのではないか?
自分が最初に発色するんではなくて、最初はその色に取り込まれる感覚があるのも面白いんではないか?

全体として「なんかおもしろそう」と感じる場所、で働きたい。特に本屋になりたい!とかカフェやりたい!とか宿やりたい!やりたいこと!!はないからというかぼやけているから、最初のフックは全然そこでもいいのでは。

中の人になればなるほど、見えなくなるもの、身動きが取れなくなるものはあるとわかっているんだけど、
ある程度、じっくり時間をかけて、人間らしく生きれる場所で、余白が持てる生活ができる中で「働く」ことを取り込めたらいいな。

働き方改革とか外側のシステムとか、ルールとか職場の人とのコミニュケーションとかあるんだけど、あるんだけど、やっぱり最後は自分の中で完結するから、結局は自分のことだから、
自分が良いね良いね、なんだかんだ楽しいねってなる状況であれば良い、人に見返りは求めない、他人の「正しい」は信じたくない
一個には偏りたくないな、偏っても楽しければいいけど、

スローロリスのようにね

※追記
かっこ、これは外を、先を見すぎている、
今自分の置かれている状況のことを考えれば、ただその先のことを信じて、何か必ず糧になると思って毎日がんばってるねと労わりながら私はここで「生活」している。
ここで生活するうちに、ともに生活する人たちが(ゲストさんや入居者や地域の人)がみんな心地よく、良く暮らしていくための小さな改善を繰り返しながら、コミニュケーションを取っている。柔らかく、関係性を紡ぎながら。

あと、自分の前のめり思考に気づく。自分が常に先を見て、先を想定して、何かこの先に達成するべきことがあるというなんか常に前のめりな姿勢で生きているのは楽しいけど生きづらいよねと思う、
なんか無意識に理想像というか、今後のこととかが常に頭を行き来しているかんじが常にある、それ前提のもと

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