涼しい夜

時計の針を追う。
信号の先のパン屋さんで買ったベーグルを頬張る。
チョコの欠片が落ちる。

空っぽになった身体の内部をなぞるようにこうやって言葉を重ねてみる。
空っぽな身体。
いや空っぽではなく、たぶん水は体内に沢山溜まっているのだけど、どうも蛇口をひねる力が湧かない。

曇り空に、青空が見える穴を見つけるくらいの感覚で「良いこと」に出会いながら生きているここ最近。
何を摂取するべきか毎日考えては泡のように消え去る脆さを内包し、暫く横たわっていたいここ最近。

いろんなこと、たぶん考えてもどうしようもないことを「考えている」とか言っているのも馬鹿みたいに思えてくるし、ほんと虫に喰われたような小さな穴ばかりを私はいつも見てドツボにはまっているな~と自分を見て嫌になってくるけれど、考え方、悩み方、みたいなのを知ってしまった私はもうこうするしかほかないんだと思う。私はこういう「性質」だ。

風をあつめたい


以前、自分が「飽和状態」にあることを書いたと思う。今もその状況は変わっていない。
だけどもう今は「淡々と過ごす期」だと思って、「そういうもの」だと思って毎日を過ごしている。

自分の内部のことについて考えて、考えて、内側で弾けたり吸収されたりを繰り返す。自己完結して、閉ざされた中にいることが不安になる。
一つしかない自分の肉体も、今はほとんどとりいくぐるという場所にある。
物理的にも、どこか身動きの取れない、というよりかは布団にくるまって外に出ようとしない冬の朝のような状態が続いている。

とりいくぐるから離れて別館に帰ると、ますます身動きが取れなくなる。
そもそもあそこは自分の「家」ではない。
カフェに行って本を読むと、本という「窓」から風が吹きこんで別の時間を生きるような感覚があり気晴らしになるというか、身体が休まる感覚がある。が、なお「窮屈」なまま。
自分の内には帰れるが、あくまで内側でもごもご身体の位置を調節しているだけ。

どうも息がしづらい。どうもお腹がいっぱいだ。

そんなお腹いっぱい状態からどうしたら脱することができるのか。
脱する必要はないのかもしれないけれど、願望としては抜け出したい、と思っている。
思い切り息を吸い込んで濁って乾いた空気を外に出してやりたい。

「旅に出たら?」
結構、その一言の効果は大きかった。
「旅に出よう」
また別の窓から風が入り込んだ。

自分の内部で起こることに反応したり、考えたり、それをまた言葉に表したりするんじゃなくて、
自分の外部で起こること、外の世界に反応したい。
「飽和状態」の肺の中に冷えた空気を送り込んであげたい。

旅に出たい。適切な解決策かどうかなんてとりあえずどうでも良くて、どこでも良いから、2週間くらい手を離して、飛んでいきたい。電車に揺られ、車窓から人々の生活を想像し、見知らぬ土地の足跡を追い、名前も知らないまちの人と言葉を交わす。
そういう歓びを摂取すれば、吸収すれば、少し見える世界は変わるんじゃなかろうかと期待を寄せてみる。単純オブ単純。

いろんな隙間に窓を持ち、そこから自由に飛んでいける軽さをいつも持っていたいと思う。
隙間に気づき、窓を開け、「行ってくるね」と飛んで行く。
そういうことを、許してはくれないだろうか。

雲の隙間


8月は本当に忙しかったな、と思う。
「目まぐるしい」という言葉がぴったりだ。
なんか「修行」みたいな1か月だったんじゃないかと振り返って思う。
嫌なことではなく、むしろ喜ばしいことなのだけれど。

ひたすら、宿、宿、宿。
宿のことについて考えすぎて埋没。
最近少し落ち着いてきたけど、いろんなものを受容する袋が伸びきってしまったみたいでもある。

ここに来る人たちと、毎日一人の人間として会話がしたいと思っている。
ゲスト・ホスト、という関係を超えて、お互い人間として会話ができればそれが一番自分にとっては「素敵」な状態。
「人間として会話する」ということがどういうことなのか、というのは、
その人自身について知りたい。悩み事、とか内部に潜んでいるようなものを互いに共有したい、という思いだろうか。
とても一方的なものである。
当り前だけど、宿に来る人は基本的には泊まる場所を求めている。スタッフや他のゲストさんと会話する、というのは二次的な要素であることが多い。
それこそ「それはそれ、これはこれ」
1人の人間として会話したい、なんて独りよがりな願望だろう。
話していたら結果的に生じてくる発展的な要素だ。
それはそれ、これはこれ。
割り切る必要があるんだと思う。


宿泊者名簿を書いてもらって、手引きを案内。その間に旅のことについて聞いてみる。奉還町マップを渡して今夜の計画や明日の計画について聞いた後、おすすめの場所を紹介する。そのときに奉還町の豆知識的なことだったり、まちのことについて少し話す。(そもそも、自分が全然奉還町や岡山について知らないのに『オススメ』するのもなんだかもどかしい。変だ。もっと知りたいのだけど、だけど、、またそうして言い訳。)
こういう「チェックイン」としての会話だけで終わってしまうことがほとんど。特に繁忙時は奉還町について話す余裕もない。
ただ「宿泊者への説明」だけでしかゲストさんの接地面を持てないのは「ゲストハウス」として勿体無いような気がする。
スタッフとしても、泊まる側としても。

自分がどういう「人」としてこのカウンターに立ち、こうして来る人と会話しているのか。ときどきわからなくなる。
まちの人と旅人を繋ぐ人
ゲストさんが快適に過ごせるように準備する人
休学中の大学生
とりいくぐる好きな奴
奉還町好きな奴
旅好きな奴
もう全部だろう

「ゲストハウス」ってどういう場所なんだろう。
ある人には休む場所となり、心のよりどころにもなったりする。
その存在は旅人にとって絶対的なものではなくて、旅の間で儚く、指の隙間から漏れる砂のような瞬間を与えてくれるもの。
温かな記憶を思い出しながら誰かがまた前に進んでいける力を与えてくれるもの。
誰かが飛び出したいと思ったときに受け皿になりうる場所。
ゲストハウス側の人間も、旅人の人間も、互いに寄りかかりあってその場所に存在している。
どちらもきっと悩みは何かしら抱えていて何かしら考えていてそんな途中でこの場所に来ている。

「ゲストハウスのスタッフ」という肩書じゃなくて、もっと力の緩やかな「一人」としてあれないだろうか。
私もあくまで一人の旅人として、あくまで住民でもあり、どこにでもいるうちの一人として肩を張らず会話がしたい。
「術」を捨てて、お互いがそのまま会話ができるなら、そんなに幸せなことはないだろうなと思う。

「一方的に決められた暮らしではなく、違うまま話し合えるような暮らしがいい」
:『未知を放つ』より
お互いわからないもの同士、異なるままそのままで語り合えたらどんなに良いだろう。私はその人のまんまを受け入れたいと思うけど、どういう風に行動することなのか、まだよくわかっていない。

意外となんも考えずにただ会話したほうが肩の力が抜けて良いのかもしれないね。「諦め」を登場させて、ただそのままであることをしてみたい。

最近のお客さん 2022夏


れおさん
旅行予約サイトにのった「Reo」の文字。れお、という名前はかっこいいなと思った。
製薬会社に勤めていて、テレワークがてら香川から岡山に。
ビールとポテチを持って窓際のソファ席に腰かける。気づけば1か月の長期滞在のお客さんとドミトリーに滞在していた大学生の女の子と3人でポテチパーティーを始めていた。
ゲストハウスが好きらしい。倉敷の有隣庵の話を聞かせてくれた。
こうやって、繋ぐ力のあるお客さんが場を自然と広げてくれる。
ゲストハウスのお客さん同士で自然と会話が広がっていく風景は心地よい。
久しぶりの「心地よさ」だった。

Indieさん
5泊もしてくれた。
ラウンジに降りてくるときは必ず裸足。
いつも暑そうに顔を真っ赤にして帰ってくる。
「tired」ってダルそうに言って帰ってくる。
メモ書きにハートマークを残してくれて、最後は会えず朝早く帰っていった。

Serena
名古屋に住む建築を勉強する女子大生。
トーゴで出会った、メガネの、あの美人の彼女に似ている。
こんなのイタリアにはないわ!って言って便器が宇宙船みたいにライトで照らされたトイレの写真を嬉しそうに見せてくれた。
日本中グーグルマップのピンがびっしり。どこにでも行く好奇心旺盛ウーマン。うらじゃ祭りの花火の音が聞こえてきた。

尾道女子3人組
カドから帰ってきて、ラウンジの4人用の机で明日の計画を練っている。
「こういうの自分家の一角にほしい~~」
「商店街楽しいよね~」
「チーズケーキだって~!」「ベイクドチーズケーキ~~?↑↑」
「古道具屋さんだっけ?(ONSAYAを指さして)元洋裁店~?↑↑」

渡した奉還町散策マップを見ながら3人で前かがみになりながら旅の計画を練る。
3人で誕生日サプライズもしてた。出かけるときに「行ってきまーす!」ってニコニコしてた。それだけでほんとうに救われるような気がした。
ここが一つの拠点となって休む場所になっていること。
その瞬間を多くは求めず、何回かに一回くらい出会えること、こういう瞬間に出会えることがあるだけで幸せなんじゃないかと思った。

今日は3人で大東果物店に行ってぶどうを買い、おやつに食べていた。
そしたら、次は桃も買ってきてまた3人で食べていた。
私がとりいくぐるに来てからの5か月の中で一番商店街を楽しんでいる様子のゲストさんだった。ありがとうございます、また来てね。

雲の隙間に見える青空のように、ゲストさんの姿に私は救われている。
その度にやはり宿はいいなあと思ったり。
説明のしようがない、あたたかな気持ちに覆われる。
それはこの場所だからかもしれない。
奉還町の中の鳥居の先。
3人のスタッフと、NAWATEのみんな。
商店街の、顔が思い浮かぶ人々。

大貫妙子の曲を聴きながら、4月の少しドキドキした感じと、春の陽ざしを思い出す。
中江さんの、あっけらかんとした「ここがいいと思うよ」を思い出す。

はっぴーえんどというグループの『風をあつめて』という曲に妙に元気づけられた今日、8月ももう終わりだ。
夜が涼しいと感じる。秋はもうすぐそこなんだろう。





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