メモ的なこと

市民参加とまちづくりという授業を受けていて、最終課題についての案内がされた。

いわば、自分で地域の中の空間をデザインする、的な課題で、面白そうだ。

またギリギリになりそうだけど。

それはさておき。

それで思い出したことがある。

一個下の後輩、もねちゃんと話していたときにもねちゃんが言っていたこと。

「一階が空いていること。空間として開放的なこと。」

もねちゃんは「一階」というワードをよく出していて、「一階」という空間に注目したのがすごく面白いなあと思ったし、
なんか聞いてワクワクするワードな感じがする。

地面に接して、土地とダイレクトに繋がっている「一階」を開放的な空間にすること。
地域と繋がりやすくなる一つの方法なのかもしれない。

もねちゃんの言ってた、1階の重要性ってあるよなあ
1階がオープンだったら、あれ、なんだろうって人が寄ってくるかもしれないよなあ

昨日の、「ミステリという勿れ」に出てきたセリフ。
「真実」は一つではなく、その人にとっての「真実」がある。
Aさんからみた事実と、Bさんからみた事実は違う。
けど、「事実」は一つ。
「Aさんが階段から落ちて、けがをした」という「事実」は動かぬもの。

的な感じのセリフだった。

だから、地域を観て、何か考えるときも、事実に目を向ける必要があって、
人によって、地域を見る目は違うから、

地域にある空間に対して、
「実はこの空間地域住民との交流が生まれていないんじゃないの」とか、逆に
「この空間すごい盛り上がってていい場所だね、すてきね」
なんてのも
「地域らしさ」
なんてのも
受け取る人によって、見る人によってかわるものなのかも。???

地元の人にとって、旅行者にとって、旅行者は旅行者でも3泊4日の人と1か月いる人と、それぞれで地域をみるレンズだから、そこに対して持つ「印象」は違う。「真実」は違うかもしれないけれど、
「事実」はそこにある。
誰が来て、誰と誰が交流して、何をそこでやってて、何を食べているのか。どんな歴史が地域にはあるのか、とか。
そういう事実にもうすこし虫眼鏡を当ててみたら、見えるものもあるのかもしれないなあ。うーん。

自分が思う、交流、ってなんだろう。
地域住民、って誰なんだろう。

ぷー---ん。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?