梅雨前

白濁

そこで起きていることをただ観察していた。

木の10cm四方のタイルが壁一面に敷き詰められた空間に訪れる人たち。
その場所はときに本屋になるしときに飲食のできるカフェになる、ときに展覧会の会場になる。その場所はいろんな色を持ち、何色にも染まらずにコロコロと役割を変える。
中にはいろんな機能があって、物販だったり、カフェ機能だったり、図書機能だったり。

そしてこの日は本屋の出張販売。
何色でもないその場所は、今日は本屋として扉が開かれていた。

カフェをしている日に普段から訪れる人
イベントのために初めてやってきた人
特に知らずに散歩してたら巡り合った人。
本屋さんの知り合いでやってきた人。

足を運ぶ人の、箱の中での過ごし方は千差万別だったが、
集合したときに生じた化学反応に圧倒されていた。

豊富な「成分」を有した人たちにより繰り広げられる会話。
油を差したかのように進むラリー。
そのラリーを首を動かして追うことしか私にはできなかった。

虫食いみたいに知ってる言葉と知らない言葉の繰り返し、
本を読んでいるときもそうだったけど、抽象的な言葉しか脳の頂点にまで達せず、固有名詞は脳の途中で濁って滞る。
○○のアルバムの○○、○○さんが岡山の○○で展示したときに、
編プロ、重版、展示、物販、

わかるようでわからないような、それでまたわかるような会話が続く。
繰り広げられる会話の中にちりばめられた知らない言葉たちを噛み砕くことに必死だった。咀嚼できなかったけど。わかろうとして、逆にわからなくなる。

圧倒的に共通言語を持たない私は、その会話の中で何者でもなかったし何者にもなれなかった。

そのボキャブラリーの数の差を年月の差であると信じたかったがそんなのは甘えのように感じる。
みんな自分の興味の赴くままに鋭利なスコップで足元を掘り進めてきた結果であり途中なのだ。自ずと広がっていく無限の興味と蓄積されていく知識。

「成分」を蓄えたい、と思った。
鉛のように重たいもどかしさがずっと頭の中にいて、
また「自分の価値」と鉢合わせそうだった。というか目は合っていたんだけど私がすぐに逸らしたのだ。

「知っている」ことが正しいとかかっこいいとかそういう結末ではなくて、
共通言語が増えることによって広がる世界があるのだと思う。

事実、共通言語があることによって広がり進む展開を目の当たりにした。

そして知識を繋ぎ合わせたり、過去のものを引用して組み合わせ、編集することで自分なりの表現を生むことができる。

自分が何に興味を持つのかということは人によって違うものだから、無理に興味のないものに手を出して苦しくなる必要はないんだろうけど、
「興味のない」と思っていたものでも思わぬ出会いがあったり、適当に穴を掘り進めていたらどこかで道が繋がった!みたいなことがあったりするものだから、受動的に情報を吸収していくことも大切なんだと思う。
情報をフィルターにかけたり、漂白したりするんじゃなくて、
白濁したまま咀嚼しようと筋肉を動かすことが今の自分には必要なのだと思う。

『「わからない」は興味深いこと。』
わからないものをわからないまま面白いと思える日が来たら。

みんな人間

四つ並んだ漢字に背筋が伸びる。
ただ目を見ることしかできない。
それは薄い黄緑のハードカバーにも並んでいた文字だった。

「本を書いた人」とか
「あの出版社のあの人」とか
メディアを介して膨れ上がったイメージに捉われて身動きができなくなっていた。

「この質問をしたらこう思われそうだ」とか
「こんな質問はレベルが低すぎて質問できない」とか
「この話題は今話すことじゃないだろうな」とか

頭の中で出た芽を勝手に自分の体重で潰していく。
増産された意味のない透明なラベル付きで。

「これなら大丈夫かな」と根拠のないなんとかセルフ規準をクリアした質問を投げかけ、ちょっとした会話が始まる。
イメージの周りの太い線が溶け始める。
人間だったんだ、と気づく。

こいつは何を言っているんだ皆人間に決まっているじゃないかと思うかもしれない。
そうみんな人間であることに間違いはないんだけど
同種というより雲の上の存在と言うか、隔絶された、分厚いアクリル板で区切られた世界にいるヒトのように感じていた人物。

話しているとちゃんと「人間」で、あくまで自分と変わらない土の上に立っていることや体温を感じることに気づいた。

ここで成田さんのセリフを思い出す。
「『お客さん』としてではなく『一人の人間』として会話する」

アクリル板を相手との間に置いているのは他でもない自分自身である。

金魚すくいのポイ

そして、前章と重複するかもしれないが、自ら働きかけること。
ラリーの弧を描くのは自分であること。

間を縫うように、相手の中にすこしずつつ入り込んでいきたい。
周りにはその縫う動作が非常に滑らかな人が多い。
その人に触れたとたん温度の高い皮膚で表面を溶かし、その中へ進んでいく感じ。自分には持っていない道具。羨望する。

訓練、訓練。徐々に「ぬるっと度」を上げていこう。

到達点

ローカル=地方ではない
    =田舎ではない
    =都市の対義語ではない

堀部さんが提示していたのは、
グローバルの対義語として存在する「ローカル」

遠くを見すぎて、顔の見えない「誰か」不特定多数の人を血眼になって追い、最大公約数に飲み込まれた結果生まれるものはあくまで「貨幣」でしかない

自分の身の回りで賄うミニマムな経済圏。
関係のある人たちとの間で紡いでいく、必然性のある生産のあり方。
そこにある「ちゃんとしてないもの」が通る余白とその楽しみと面白味。
そこで、狭い経済圏を成立させるためには、レベルを高めていくには、必ず批評を加える。
批評に中身を持たせるにはには知識とセンスが必要。

「ローカル」であることの可能性が垣間見えた。

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自分は何者でもなくて、何者かになる必要もないし、なろうとも思わないが
何かを「好き」になるまでには積み重ねることも必要。
興味の幅を広げて、知りたいと思ったものを深ぼっていく。
その衝動が生じたほうへ向かう。

『将来のことをよく考えることは大切ですが、完全な答えは、出て来ないと思います。まずは、一歩ずつ進んでいってください。応援しています。』


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