これなんなんだろうな

「まちやど」でバイトすること ― 宿や施設、活動のある意味

ここでバイトすることは「進行中の先輩事例」を学ぶイメージに近いと今日思った。
1泊あたりの価値を高め(アメニティ、まち案内)満足度を上げる。値段に見合ったサービスを準備する。とんでもなく戦略化され、クオリティの高い宿泊体験。事業内容。きちんと事業化し、まわすことで次の事業が回っていく、結果的にまちの人が使える地域にとっても嬉しい、空き家を持つ人にとっても事業者にとっても嬉しいというwinwinな関係性が発生する。

萩荘をなんとか活用したい、という思いからHAGISOが誕生。
その後、萩荘の取り組みを見た空き家の大家さんから依頼があったり(=TAYORI, TAYORI BAKE)
自分たちで次なる目標や用途に合う建物を見つけ交渉したり?(=宮崎さん自身がHAGISOに住んでいた時代、いろんな時間軸でまちを楽しんでほしいと宿ができる場所を探していた=hanare)
主に建物からスタートする事業は大家さん、事業を行う人、訪れる人それぞれにとって有益な活用方法を模索するところから始まる。
一個の活動がきちんと事業としてまわることで上記のような事業の連鎖・循環が成立する。

これらのHAGISOを始めとした「活動」はまちの共有財ともいえる。
観光は誰にとってのものか。観光はなにをもたらすのか。まちづくりは誰のためなのか。等の議論がなされ、地域、住民、観光客の関係性のもとで成り立つ「観光」や「まちづくり」の分野では、三位一体となって地域課題を解決しうる成功事例となる可能性がある気がする。

ここで、私の経験上で「比較」が発生する。
同じ宿泊施設でも、単価が安く、素泊まりが多いいわゆる「ゲストハウス」との比較である。
ゲストハウスは1泊あたりのサービスは少ないが自分で楽しみを発見していく。上記、hanareのようなコンセプトホテル、まちやどなどと比較してサービス面が劣っているな~と感じるかもしれないが、この「劣る」という考え自体がナンセンスなのでは

何をもってその宿や施設を判断するのか。何がその施設の価値をかたちづくっているのか。
どこから見て、誰から見て、意味をもつといえるのか。

もちろん事業として回していくために、「宿泊のクオリティを上げていく」というのは、共通していること、大前提だと思う。
そのうえで、宿のサービスの「違い」、クオリティの「違い」を比較したときに、比較によって生まれた差に見えるものは、当該施設の意義や役割を語る直接の材料(ましてや批判する材料)とはなりえないと考える。

その場所があるのってなぜ?
それはきっとまちのためでもあるし、空き家を持つ人のためでもあるし、そこに訪れる人働く人のためでもある。
もちろん宿をやりたいとか、カフェがやりたいとか、個人的な目的目標から始まったものもあるから、スタートは違えど結果論で「まちのためになっていた」ということがあるだろう。

建物からスタートし、維持に有効な活用方法が宿だった とか
まち、住民、事業者、訪れる人にとってふさわしい事業を考えたら宿だったとか、
結果的に宿の本質を考えることになった、宿の役割が後からついてきた場合も意外とある。
その土地でできることを探したときに「これ」だった。そこにいる人々が生活する地域で何ができるかを考えたものの積み重ねの先に宿や施設のもつ意味があるのではないだろうか。

そしてここで「各々地域がもつ事情はそれぞれ違うから」と議論を乱暴に終わらせるのではなく、
宿業を取り巻く現状や人々の行動様式の変化など、当該施設や現象を取り巻く環境や社会状況を踏まえ、俯瞰的に全体的に分析と思考をし、「結果論」では終わらない意義や意味を検討する必要があると思う。

一方で、社会状況や事業を取り巻く制度、計画的なものに左右されない営み、そこに隠れていたり埋もれて見えない活動があってそれこそが豊かだったりするな~と思っていて、その中身をしっかり見つめて(観察したり、分析したり)小さなものの中のダイナミックな関係性に焦点を当てることも大事だよなと思う。
そうやって、枠組みを捉えたうえでそのもとで成り立つ・または別軸で成り立つ活動に目を向け、俯瞰的な視点と近視眼的な視点の往復を心掛けたい。
固有だったり、共通していたりする課題や可能性が往復によって見えてくるのでは、

いまだに「地域の人って誰のことを指す?」だとか「地域ってどこまで?」という疑問を抱き量的・数的に捉えたり、わかりやすく明らかにしてみたくなったりするのだが、明らかにする必要もないのでは?とも最近思ってしまう。たぶん、そこは全体でくくって把握するものではないし、焦点を当てるべきなのはもっと身近な対人の関係性ではと思う。(雑、思考の放棄、良くない、いろんな学問的視点から考えたい)
それをね~ その「関係性」とかっていうものを、「関係性」が空間・施設を構成し、「共有財」として結果的に広がっていく様子をネ~ うまくね~捉えてみたいと思ってしまうのよね~やりたいよね~

上記文章、特に前半事業について語ってるとことかたぶんめちゃくちゃ大事な根本的な、えっ?みたいな視点や見方が抜けてて恥ずかしい
いっそぜんぶ手放したくなる
いやもうちんぷんかんぷんなんでんかんでんなりに探求していくしかないのよきっと!!!

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