息を吐くこと

なぜ人は表現を求めるのだろう。

絵を描いたり、文字に起こしたり、文字に起こすんでもいろいろある。
小説にしたりエッセイだったり詩だったり短歌だったり。
映像にしてみたり、写真に撮ったり、

人によって形は違えども、内なる感情に突き動かされて、自分の中で沸々と湧き上がったものに呼応して、
自分の外部で起こる現実に呼応して、内と外が混ざり合って、衝動に駆られる。

吐き出したくて、何かに起こしたくて、形にしたいと思う。
私の場合、それが言葉にしかできなくて、言葉より行動で表したいのに、言葉にしかなっていないのがとんでもなくもどかしいのだけど。

表現して、それを何かに表して、どうこうなるものでもないことは重々承知の上でだ。
特にエッセイストになりたいとも、小説家になりたいとも思っていない。
特に書いたことに対して見返りを求めているわけでもなく、これによって何が変わるとかっていうのを先に望んでいるでもない。

ただ、自分の内なるものを、吐き出すことを求めている。正しい文章なんてどんなものかわからなくて、
ただ一方的に外に出す矢印しか働いていない、ような気もするけど

私は言葉に何かを託しているのだろうか。
何のために言葉に起こすのだろう。
人はなぜ、何かを表現したいと思うのだろう。
なぜ、外に出したものを、誰かに向けて、さらに外に出す行為を求めるのだろう。

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