口呼吸

3/26 夜
もうそろ消灯の高速バスの中で書いている、鼻をすすらないように、と必死。息ができなくなりそうだ!

千葉を出た
卒業式のあった昨日からいろんな人に(大学の友達、のぶえちゃん、しーちゃん)にまたね、ありがとうね、会おうねと挨拶をしているときも、「離れる」という実感はあまりわかなかったけど、

最後、慌てて家を出る直前に、エリザベスをつけて片目をつむったおうじにハグをするとき、何もわかっていないようで1日膝の上にいて何かをわかっていたようなおうじに、バイバイと言って、ハグをして、でもエリザベスを付けてるからうまくハグできずに首元の温もりが抜けているのを感じたとき、手を離して、どんどん姿が小さくなっていくとき、もうしばらくふわふわのその温もりに届かないんだとわかったとき、息を止め苦しかった。寂しかった。ああ、私は引っ越すのだ、涙が出るのだ、と自覚した。
(さらにその後電車の中で、おーちゃんの顔を触った温もりは感じるのに、抱きかかえたときやしゃがんだままぎゅーをするときの両腕の内側に感じる温もりが残っていないのがわかって、より泣いた)

これまた慌てながらおばあちゃんに会いに行って、いつものようにニコニコしていて、カラフルなチェックのコートを見て「あら素敵だね」とまたいつものように褒めてくれた。
こんなに急いでる様子なのに、おばあちゃんはいつものテンションで素敵だねと言い、私はありがとう、とか元気でね健康でね、と伝えたいことを短い時間で伝え切ろうとするのに必死だった。口調も手も顔もやわらかくて、泣かない!と言い聞かせながらハグをして、お互いぶんぶん手を振って行ってらっしゃい、行ってきますと交わした。

母には1番言うべきことや言いたいことを何も伝えられていないな、と、送ってもらっている車の中で気づき、涙が止まらなくなった。ありがとうね。と声を私が震わせながら言った時、母も泣いているのがわかって、ますます泣いた。なにもしていなくて、でも何もできていなくてもいいと思ってしまう。甘えるのはいつまでも止まない。

これまでものすごく近かったもの、きっとずっと温められてきたもの、側にあった存在が、人が、物理的に遠くになること、知らない間に変わっていくこと、見えなくなることが怖い。同じようなことをインスタに書いたときよりそれを一層感じている。
物理的に離れはするけど、いつでもLINEしたり電話したりできる、できるのだと安堵がかするけど、かするけど。

友達の、「帰れる場所」という言葉や、将来の妄想に組み込んでくれている話を目にして、それを再びみて、顔が浮かび、思い出し、またハンカチで鼻水を拭っている。

「帰れる場所」があることと、きっとずっと手を繋いでいる、ということを支えに、私は健康に生きたいよ。
うまく暮らしていけるかな。

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