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とりいくぐる1日目

とりいくぐる1日目。
ドキドキの1日目。

あんバターサンドとクリームチーズ

早朝激さむの岡山駅に到着して、オススメしてくれたモーニングへ

あんバターサンドってあんことバターしかいないと思ってたけどまさかのクリームチーズが仲間入りしててめちゃくちゃ最強だった

岡山駅にいるとは思えないくらいの静かさと、反対に目の前を忙しく行き来する学生やサラリーマン。
朝をこんな風にすごすのめちゃくちゃ素敵やん岡山市民!!

ブラックが飲めるようになって約1年(たぶん)
喫茶店とかカフェとかがより魅力的な空間に思えてきた。
ゲストハウスとか宿泊施設は泊まれる場所。だから滞在時間が必然的に長くなる、から一回でその施設とか、その地域とかそこに集う人と交流を深められるのかもしれない。
けれど、喫茶店やカフェ飲食店は滞在時間は長くて2時間程度。だから一回じゃ足りなくて何回も通うからこそ、深まるものがある。
もちろん宿泊施設も通うことで関係性が深まることはあるけれど一回の深さがカフェと泊まるところの違いだと思う。

だから、私はカフェとゲストハウスがあったとき「好き!!」の天秤をゲストハウスに傾けていた。

けど、人間にとって、
「食べる」ということは必要不可欠なもの、なきゃ生きていけないもの。
お腹が空いたら頑張れない。ご飯があるから人は幸せになるし、逆に言えばご飯がないと幸せにもならない。

そういった意味で、カフェや飲食店、という存在はものすごく大切なものというか旅人にも地域の人にも誰にとっても大事な万能くんだということに改めて気づいた今日だった。

泊まるところはふら〜っと立ち寄れないけれどコーヒー1杯ならふら〜っと立ち寄れる。
そういう気軽さがある。
気軽に入り込める。

これまで分散型ホテルみたいに、ゲストハウスに宿泊施設にカフェ機能がついてる食事機能が備わっているのは、地域の周りのお店の利益を吸い取ってしまうのではと良い印象はあまり持っていなかったけど、
人がその場所に集まるにはもっと気軽な人が立ち寄れるような場所が必要なんだよなあ、そりゃ大事だよなあと気づいた感じがする。

でも一方で、地域の中の一つの事業者ということを考えたとき、周りのお店と観光客をつなげるという役割は忘れてはいけないものだと思うから、そこのバランスは難しいわよね。

カフェとゲストハウス。
どちらも素敵な空間。誰かの居場所となり人が集まる場所。

いいなあ。

商店街、という場

雲が動く。
窓から光が差す。
そういう穏やかさみたいなのを感じられる。

鳥居をくぐる。
床が軋む。
窓がガタガタ揺れる。
当時お肉屋さんだった面影がそこかしこに残る。

岡山駅から徒歩10分という都会に位置する奉還町商店街。
すぐそこがブンブン車通ってる思えないほど静か。人通りも多くはない。

だけど、その中でもお店の前で会話するおばあちゃん達の声が聞こえたり、キッチントラックのテーブルで新聞読むおじいちゃん、シャッターの前にポンと置かれた回覧板だったりと、人の体温が感じられるような場所だなと思う。

レコードショップや昭和の映画がズラっと並ぶお店、パン屋さん、唐揚げの匂いがする自然食品店、学習塾、スナック、、、
もうジャンルとか関係なしにとにかく色んなお店が並ぶ、
そのカオスさが許されるのが商店街のような気がする。
そしてまたそのカオスな感じが味があるのかと。

自然豊かなところが私は好きでそういうところに行きたい!!とばかり思っていたけど、こうやって人の温かさのようなものが感じられる場所も好きなんだと思う。

私の地元のほのぼの通りだって商店街じゃないか!!と改めて意識したのはつい最近。

小学生の頃地元の人がよく訪れてた魚屋さんはもうないし、フランス菓子屋さんも、犬用の骨型のパンが売ってたパン屋さんももうない。

今はポツリポツリとお店があるだけで、いつからここは「通過点」になってしまったのだろう。人が集い、賑わっていた時期はあったのだろうか。(おばあちゃんに聞いてみようら)

人がすでに集まっている場所にホテルを作るのではなく、人がいないからホテルを作るんだよ、という他力野さんが仰っていた。
もし、ほのぼの通りに宿泊施設ができたらどうなるのだろう。

住宅街だから人は来ないのでは。というところで思考がストップしてしまっていたけれど、
もしほのぼの通りに、、
と最近思う。
犬の散歩で街を歩きながらふと思う。

コロナ禍によって変化したことの一つに「地元に目を向けるようになったこと」が挙げられる。
ストレス発散に手賀沼へサイクリングしたり、地元の公園で本を読んだり、新しいカフェを発見したり、
地元はまだまだ面白いものがたくさんあるじゃないかと発見できた、そんな機会だった。

その延長線上で最近地元のほのぼの通りにまで目を向けるようになったのは自分でも面白い変化だなぁと思う。灯台もと暮らしとはこういうことも入るのだろうか。

いつか、ほのぼの通りがもっと誰かの目的地となる場所に。居場所となる場所に。と思ったりもする。

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