すっぱいな~

全体のバランス


当事者意識みたいなのを持つことと、それは「自分のものだ」と占有する感情を持つのは違う。
それはもちろんわかってはいるんだけど、その場所のことを良くしていこう、とかこういう場所にしていきたい、とかっていう強い感情を持つものは、感情だけが先に行きすぎたり強く大きくなりすぎたりすると、空回りすることになる。

それは、「ただ自分がやりたいこと」なのであって、とりいがやりたいことではない。
とりいがやりたいことってなんなのかっていうと、これまでとりいを作ってきた人が大事にしてきたコンセプト的なものだったり、「こういう場所であったらいいな」というもの。

そういうベースにあるものを考慮したうえで「あれがいいんじゃないか」とか「これがいいんじゃないか」ていうのは考える必要がある。

一方で、
そういう、「ベース」に忠実になりすぎても「良い変化」はもたらせないこともあるだろう。
そもそも、「変化」を求めているのか。という問題はあるけれども。
でも「変化」という言葉を意識せずとも「とりいくぐるがより良い宿泊施設へとなったらいいな」という思いは誰にもあるわけで。そこには徐々にゆっくりと、だんだんと全く同じ状況じゃなくて日々変わっていくということがくっついてくるんじゃないかと思う。

なんだかいろんなことを考えてわからなくなってきてるけど、たぶん
言いたいことは、自分が「あ、これやりたい」と自分の中で湧き上がったものが、果たしてとりいくぐるには合っているのか、自分が今いる組織や場所が求めていることなのか求めていることなのか、考える必要があるということ。ある程度の筋道と根拠をもって。

うん、難しいなあ。

自分で頭を持つ

私がやりがちなこと。
「すぐ誰かに聞く、話す」
これは嬉しいことでも悲しいことでも悩んでいることでもなんでも。
すぐ誰かに話してしまう。

でも必要なのは

みんなそれぞれやらなきゃいけないことがある中で、何でもかんでも判断を人に委ねるのではなく、
自分の頭で考え、
「私はこう思う。だからこれをやってみた。のですがどうですか?」
の人への頼り方。

そういう、自分で頭を持って、自分で賄える力。
それが私には足りていない。
すぐ人に頼る。

自分で頭を持って考える力、みたいなのは絶対必要だよなあと思いつつ
わからなかったり悩んだりするとすぐ人に身をゆだねる。

たぶん、自分で考え抜いて実行するのがぐっと、ちょっと一歩ストレスのかかることだからそれから逃げてるんだと思う。

自分で最後までやり抜く力、頑張っていこうか~~~




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