フォンダンショコラあと一口

・近くにいるかも、と知ったから「安心」してしまった。
・もやのかかった物質を遠ざけるのではなくて、食感の気持ち悪いものを吐き出すのではなくて、一度近づいて咀嚼してみる可能性。関わりしろがありそうだ、私ならこれをこうするかもしれない、ノイズだと思っているものに触ってみること。それで傷つくこと、また逆に傷つけること、傲慢になることとどう折り合いをつけるかはまだわからない
・依存と新陳代謝的なこと?簡単に消化したくない。「エース」が居続けることと、可変性の活動体。人が長くいることでできるものもあれば、閉じてゆくものもある。人が長くいないことで変わる面白さもあれば継続できない不安定さもある。
(周りの様々な主体を巻き込んで巻き込みまくってじゃないと継続できない活動だからこそ、「その人がいないとこれができない」みたいな依存状態は危険なのか?人が変わっても継続できる仕組みがあって成立していくものなのか?)長くいる人と短くいる人の「バランス」は難しいよね〜という話で終わらせたくない
・私から見えているものから目を離したい。あなたから見えるものと、あの人から見えるものは全然違っている。今はそれを知りたい
あの人にとっては輝くものも、この人にとってはざらつくものかも。どんな見方ができるかなーーーを繰り返したい。筋力をつけたい。できるだけ想像して。
・私にできることはなんだろうと考えるけれど、いまはいろんな見方を知ることが必要だと思っている。いろんな見方ってなんだよ、所詮、たかがされど、どこに向かってるのか?


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