【#タグのない文章】 命を奪う刹那を感じるすゝめ
・どういうこと?
感覚ズレてたらすいません。子どもの頃、殺すぞって意気込みでアリを踏みつけて命を奪ってみたり、巣を水攻めしてみたり、脚部を1~2本とって飽きるまで動きを観察とかしてみたよね。多分ある程度の人が。特に男性陣。
でも大人になると、自分の手で命を奪う行為はしなくなるよね、蚊とかゴキブリとかの害虫を除いて。
それは倫理感が身に付いてきたりとか、人間社会でよく思われないとか、動物愛護とかそんな感じだと思うけれど。
それでも、害虫は人間にとって害をもたらすという理由で極端に言えば平等のはずの命を奪っているんですよね。もちろん害虫・害獣は健康的で文化的な最低限度の生活のために駆除しなければならないわけです。そこには妥当性があると思うし、命の奪い方も子どもの頃にした残虐な方法でなく、一瞬で叩き潰したり、毒餌だったり人道的で苦しみの無い方法として明確に異なるとも言えます。
しかし、愛玩動物が可愛がられるその一方で叩き潰される存在がいて、それは仕方のないこととする思考停止はなんだかなあと思うので、このnoteで話す私の経験を読んで叩き潰すその一瞬。私は命を奪うのだと感じながら過ごしてみてほしい。そんなお話です。
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・命を奪う刹那を感じると身体は大きく変化する
私は去年、ある研修で小笠原諸島の父島という島に行き、ネズミの一種であるクマネズミというネズミを殺してきました。(ヘッダー画像)小笠原ってどこ?なんて思う人もいるかもしれないので一応地図で示すと(実際私の周りには実は知らないという人が結構いた)大体沖縄と同じような緯度にある島々で、世界自然遺産にも登録されています。日本だけれど、日本じゃない。そんな南国雰囲気漂う場所です。
元々、小笠原諸島は絶海の孤島とか東洋のガラパコスなんていわれるほどのところで、偶然たどり着いた動植物のみで構成される独特な生態系が広がっているのですが、そんなところに人間が乗った船にクマネズミも紛れていて、島の動植物を食い荒らし始めたからさあ大変。(しかも周辺の無人島にまで生息範囲を広げてしまった)
このままでは島中の貴重な生物が食い尽くされてしまい、世界自然遺産も取り消されてしまうかも。クマネズミにしたらただ生きているのだけなのに、命を狙われるのはたまったものじゃないかもしれないけど、外来種のクマネズミに固有動植物が食い荒らされるのもたまったものではないので、人間が持ち込んだ(紛れていた)ものは人間が何とかしなきゃいけないのが筋です。
クマネズミをの命を奪う方法は色々あるけれど、研修なので効率は悪いが生きたまま捕獲できるカゴ罠をつかって生け捕りにします。捕まえたクマネズミは手掴みで頭を掴み、もう片方で尻尾持ち、八つ裂きの刑のごとく両手で引っ張ります。そうすると頸椎脱臼を起こすので苦痛を与えることなく安楽死させることができます。
そんなことを実際に、このキーボードを叩く手で行ってきました。そして、その時の自分の身体の変化が中々感じる機会の少ないものでした。
まず、カゴにクマネズミが入っているのを確認した時は、捕まえてやったという興奮と達成感に包まれ好奇心にはしゃぎます。次に暴れるクマネズミをカゴから取り出し、左手で頭を、右手で尻尾を掴みます。そうするとその毛並みやチワワのように飛び出した目、体よりも長いミミズのような尻尾、抵抗する鳴き声、強烈な獣臭などを味覚以外の4感で味わうことができるので、興奮はピークに達し、後は引っ張るだけで命を奪うのだと、脳がどこかで認識するとジワっと温かいものを脳に感じるようになります。アドレナリンで溢れ返っているのでしょうか。苦痛を与えてはいけないので手早く両手で引っ張ると、クマネズミの頸椎が脱臼する音と感触が生々しく伝わり、20cmはあろうクマネズミが動かなくなるのを見て、興奮は続いているのに身体は脳から背筋に冷たいものを感じます。そして、終わった。と、ただ空虚な気持ちに襲われるのです。
命を奪うことにのみ、全神経と時間を費やすと身体内部ではこんなにも大きく変化が起こるものなのだと実感させられる経験でした。そしてこれほど解像度の高い変化は、どんな映画やネットの海に漂うグロい映像にも再現は難しいと後になって思います。
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・おわり
本来、私たち人間というのは命を奪う時、とてつもない解像度で身体に変化が起こります(はず)。しかしながら、私たちは普段、あまりにも容易く害虫だからと妥当性を武器に命を奪っています。
それは決して悪いことではありません。ですが、愛玩動物を可愛がるのに害虫は何も思われないのは何となくあまりにもやるせないものです。ですので、せめてその害虫に対して、私は今から命を奪うのだという感覚を持ち続けてみてはいかがでしょうか。
普段の生活において、それは意味の無いことでも何か生命に関する話題に出会ったときに無関心な自分を作らず向き合う意識の土台になり得るのではないかと思います。
ちなみに、小笠原諸島のクマネズミは現在いくつかの島でヘリコプターでの毒餌の空中散布やベイトステーション(ネズミだけ入れるように設計したゴキブリホイホイみたいの)の設置による駆除活動によって根絶されたことが報告されています。しかし、有人島の父島、母島では未だに多く生息が確認されているほか、その他外来種の脅威からもこの世界遺産を守らねばなりません。
しかし、ただ駆除するだけでは、、、なんて話もあるのですが今回はこれくらいにて。最後に小笠原の写真をいくつか載せて終わります。小笠原での生活や自然すべてを含めて本当に素晴らしいところです。
生きてるうちにあと100回は行きたいです(欲深)
またこの記事はfeedback saunaを通じてわかっぱさんから感想いただきました。ありがとうございました!
・蛇足
感情100%の意見ですが、愛玩動物を可愛がりながらゴキブリに殺虫剤を吹きかける人間のコントラストを見るのが好きではありません。エゴエゴしいというか。でもそれは自分も持っているし、やっていることなので、じゃあどうしたらよいのだろうと思った次第です。
よくペットを飼うのは人間のエゴなんて言いますが、同様に害だから害虫・害獣の命を奪うのも人間のエゴであるように考えてしまいます。どちらにしても歴史的な背景からみてその意見に一部賛成で一部反対ないし違うとは自分でも思います。なので(?)反対に、命を奪う感覚を持ち続ける人間のエゴが必要なのです。
エゴにはエゴで。
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