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太郎 という人

その人のことを 知ったのは
大阪万博に 行った 従兄の話からだった

「物凄い モニュメントがあった」

televisionでは あふれる数の 来場者が 映っていた
そのモニュメントのことも放映していた

そこに こめられた 情熱は 雄弁な わけではないのに 
感じたのだろう・・・。

そういう 作品を つくる 情熱

Franceやイタリアの建物に 圧倒された感覚

思い出すと それが ユージュアルな 人たちにさえも
感じさせるスケールを 表現するぞ との 挑戦
 なのかもしれない と 想像する

美容という 小さな 世界で
海外誌に 掲載 されるという 体験
思い出すと そんなことを 考えていたなと・・・。

(英国のヘア&ビューティに 作品を 何回か紹介されていたので 
世界からの そういう人の中から英国のヘアドレッシングアワード
(美容大賞のような)があって
日本版として持って来たい と発足の人たちに相談されたことがある。
正式に 日本版になる 前年
日本 ヘアドレッシングアワードが 開催された。
英国側の許可をうけ 日本の重鎮が 認めるか どうかの 授賞式の運び
その時は 私はまだ 20代中頃 新人賞にノミネートのお知らせがあった。
美容がワクワクな 90年代は NYでは アート&ファッショングループが 
(自国部門と世界の美容師を対象に) 美容のオスカーともいえる
授賞式を 毎年 行っていた。
そちらの 本のカバーになったことがあるので
それの 海外部門で 日本人として授賞式に・・・そして翌年からは
日本からは 海外でも 貢献した美容師さんを 推薦しました。
95年 VSロンドンのベーシックスクールの校長を務めた
北川先生 96年はVSロンドン インターナショナル部門で
活躍なさった 川島文夫先生が 受賞という運びでした。)

また 再開するという 青山の 出来たばかりの 子供の城 
そこにも あった モニュメント 

ドラマ MAGI の 少年たちが 見たもの
遠藤周作 さんの原作 映画 沈黙 
太郎さんが 見たもの
 
先人の 体験は 辛く長いトンネル
その先の 行動は イロイロ 教えてくれる

道標や ヒナガタ という 表現 では
しっくり しない 


北青山で salon していた頃
心配して 訪ねてきてくれた 両親に
太郎さんの ところ 見に行ってみて と 話した

敏子さんが いらした と こんな伝言
「太郎の なくなってしまった 壁画 自分の生存中に 見つけたい」


そして 後日 Newsステーション 見ていた 両親が
たまたま 実家に来ていた 私に

「敏子さんが でているよ。あの壁画見つかったんだね~。」

見ていると 

「戻っては 来たんですけれど どこに 設置するかなんですよね。」
(たしか メキシコから 戻ってきただったかな・・・。)

母は すかさず
「お前が 観れるところー!!!」とtelevisionに向かって 言い放つ

毎日の 通勤は 中央線 井の頭線 銀座線
乗換の 渋谷駅 
毎日のように 通るところに 設置になった。

昨年末 記念館に 娘を 連れて行った。

私の関心ある 二人の人が・・・でしたのと
11月は 誕生月 なので・・・。

約束の時間に 遅れた 娘に

「時間 間に合ってくれれば 藤子不二雄さんも行きたかった」

なんと 年明けの 松の内に
藤子不二雄 に 友達と行ったらしい Musume
  やや あきれては いる。

反抗期は かなり 心配させられたが
成長してから 反省したのか 
「産んでくれて ありがとう。」とは 言われた・・・。

 

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