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『おかえり』ができるまで



『おかえり』ができるまで  
ミルブックス 藤原康二

 これまでに多くの人が語ってきたことだが、初期チャットモンチーの大きな魅力のひとつに、3人がそれぞれ個性の違う歌詞を書いていたことが挙げられるだろう。あくまで私見だが、橋本絵莉子さんはシンプルでありながら繊細な歌詞、高橋久美子さんは心象描写と比喩表現が優れた文学作品のような歌詞、福岡晃子さんは丁寧で緻密で写実的な描写の歌詞と、三者三様の異なる魅力がある。
 高橋久美子さんの言葉は絵本にぴったりだと思っていた私は高橋さんに絵本の執筆をお願いした。そうして2017年に高橋久美子さん作、福田利之さん絵による絵本『赤い金魚と赤いとうがらし』を発表した。
 福岡晃子さんの言葉はきっと「随筆」という表現方法でその魅力がより発揮されるだろうと、チャットモンチーで福岡さんが詠んだ歌詞を聴きながらずっと考えていた。その思いを強くしたのは、アアルトコーヒー庄野雄治さんと福岡晃子さんがミルブックスから上梓した徳島案内書『徳島のほんと』(2016年発表)の中で福岡さんが最後に綴った文章を読んだ時だった。徳島への愛に溢れた文章は福岡晃子さんにしか記すことができない、紛れもない「随筆」だった。


 いつか福岡さんに随筆集を書いてもらいたという思いを抱きながら、そのタイミングをうかがっていた頃、未知の感染症が世界中に蔓延し始めた。その年に浜島直子さんの随筆集『蝶の粉』を発売したのだが、ホームステイ期間の今なら本を読む時間もあるだろうと福岡晃子さんに本書を送った。数日後、早速福岡さんから本が到着したことの御礼のメールをいただいた。御礼とともに、半年ほど前に出産したこと、そしてつい先日徳島の海辺の町に引っ越したことも書かれていた。
 それから数ヶ月後、再び福岡さんからメールをいただいた。先に送った『蝶の粉』を育児で多忙な隙間を見つけて読み、その内容を高く評価してくれた様子だった。その文面から随筆集に興味を持ち始めている雰囲気を察した私は、ここがチャンスとばかりに福岡さんにメールした。
「徳島に引っ越されて、お子さんが生まれたばかりでご多忙だとは思いますが、随筆集を出してみませんか? 時間は掛かっても全く問題ありませんので、ご自身のペースでゆっくり書いていって、1冊にまとまる文章ができた時に本を作らせてください」
 福岡さんはこの誘いを快諾してくれて、いよいよ随筆集の執筆が始まったのが2021年初夏。連載ではないので締切日はないが、お尻がないと書けないということで月末を締め切りに設定して、毎月1作ずつ執筆することを目標に始動。これまで随筆を書いたことがない福岡さんに、私が好きな随筆集(向田邦子さんの『父の詫び状』などの名作をいくつか)をお送りして読んでもらいつつ、書く時のコツのようなものをメールで伝えた。
 最初は随筆の書き方に苦戦している様子だったが、3作目あたりから福岡さん自身の随筆のスタイルが確立し始めて、それ以降はすっかり福岡さんの文章が出来上がっていった。4作目に届いたのが本書のタイトルにもなっている「おかえり」。これを読んだ時に私は、福岡晃子さんの言葉は「随筆」という表現方法でその魅力がより発揮されるだろうという予想は間違っていなかったと確信した。
 それからソロアルバムの制作、初のソロツアー、提供楽曲の制作、そして育児に多忙な中、時々休憩を挟みながら、ほぼ毎月1作のペースで執筆いただき、約2年をかけて15作の随筆を書き上げてくれた。
 毎月原稿が届くたび心を揺さぶられながら熟読した。時には声を出して笑ったり、その心情に寄り添い思わず涙を流すこともあった。ここまで心を曝け出して書いていいのだろうか? そんなことを考えてしまうほど、自身をひとつも包み隠さず、真摯に随筆と向き合ってくれた。
 人生を変えてくれた恩師。天国と地獄を同時に見た衝撃のライブ体験。運命のバンド・チャットモンチーとの出会い。苦難続きのデビュー前のツアー珍道中。チャットモンチー最後の武道館公演と、完結に至るまでの正直な心の葛藤。コロナ禍と出産を同時期に経験し、徳島の海町へ移住してからの3年間の暮らし。そして愛息が教えてくれた本当に本当に大切なこと。
 とりわけ愛息(本書の中では「豆太」の愛称で登場)のことを綴った『豆太』三部作は、仕事ということをすっかり忘れて福岡さんの心情と一体化し、感情移入のあまり号泣しながら熟読した。
 編集するにあたり、私はとりわけ3つの点に留意した。1つは福岡晃子さんのことを全く知らない人でも楽しめる内容にすること。2つ目は本を読むのが苦手な人でもスイスイと読み進められる、読みやすい文章にすること。最後は繰り返し読みたくなる本にすること。読み終えて、再び頭に戻ってもう一度読んだ時に、最初とは違う風景が見える随筆集にしようと熟慮したが、それがうまくできたと自負している。
 掲載順も福岡さんと相談しながら検討して、絶対にこの順番で読んでほしいという最良の並びになっている。たとえるなら、音楽のアルバムを作る時のようなイメージで編集した。3分の楽曲が15曲収録された45分のアルバム。大好きな曲を厳選して、これしかないという曲順で15曲入れた46分のカセットテープのように。チャットモンチーのファンの方はチャットモンチーについて書いた随筆から読み始めたいと思うが、そこをグッと我慢して、ぜひ最初から掲載順に読んでほしい。そうすることで初めて『おかえり』の本当の魅力を存分に味わうことができるだろう。
 装画は人気漫画家「今日マチ子」さんに描き下ろしていただき、徳島の海町の豊かな時間を表現した美しい装釘に仕上がった。装画についての仔細は、今後開催されるイベントなどで伝えられたらと思う。
 チャットモンチーの「あっこちゃん」の顔しか知らない人、そしてチャットモンチーを全く知らない人にも、脆く弱いけれど、誰よりも強く優しい福岡晃子という人間の今の姿を読んでほしいと、心から願っている。読んだ人の心をふんわりと包み込み、背中を優しくおしてくれる随筆集『おかえり』がたくさんの人に届きますように。

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