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「コーヒーと小説」に新しい意味を与えてくれた「一日の終わりに」

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 アアルトコーヒー庄野雄治さん編纂による近代小説集の第3作『コーヒーと短編』を制作中の2020年12月、シリーズ第1作の『コーヒーと小説』が在庫切れになった。増刷をしようと考えながら久しぶりに再読したのだが、本書が発売された5年前とは同じ気持ちで読むことができなかった。
 最後に掲載した作品は、坂口安吾の「夜長姫と耳男」。物語の後半、謎の疫病が村を襲い次々と人々の尊い命が奪われていく。『コーヒーと小説』を発売した2016年には、疫病は遠い昔の話だと思っていて、正直なところ現実味がなかった。
「夜長姫と耳男」の中で描かれる疫病は、一度は収束する。しかし数ヶ月後、以前よりも強い感染力を持った疫病が再びやってきて、最初の流行で感染を免れた人々の命も次々と奪っていく。
 2020年12月、以前より強い感染力を持った新型コロナが再び猛威をふるい始めていた最中に読み、これは遠い昔の空想上の話ではなく、現在の地球上で起こっている状況そのものではないかと震えた。同じ小説でも、その意味が全く変わってしまうことを知った。
 そんなことを考えていた私は、あるミュージックビデオを思い出した。それは本書のカバーに出演いただいたシンガーソングライター・安藤裕子さんの「一日の終わりに」という楽曲。斎藤工さんが監督し、門脇麦さんと宮沢氷魚さんが出演した映像作品だ。

https://youtu.be/JKBGruj3k28

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 安藤裕子さんの「一日の終わりに」は、2020年に発売されたアルバム『Barometz』に収録されているが、新型コロナが流行するずっと以前からライブで演奏されていた楽曲だ。ライブアルバム『Acoustic Live 2018-19 at Tokyo』にもその初期バージョンが収録されている。
 斎藤工さんが監督したミュージックビデオは、100年後の2120年が舞台。おそらく何らかの病が流行し、人と会いたくても簡単に会うことが叶わない世界。100年後という設定ではあるが、2020年のコロナ渦の現在と重ねて見てしまうのは当然だろう。
 そういえば今からちょうど100年前、1918年から1920年にかけて世界中でスペイン風邪が大流行したそうだ。その頃『コーヒーと短編』の編纂のために、スペイン風邪が流行した100年前の小説や随筆も読んでいて、いくつかの作品中に疫病に関する記述があった。それもあって、スペイン風邪が猛威をふるっていた100年前の過去と、コロナ渦の2020年と、「一日の終わりに」のミュージックビデオで描かれている100年後の未来が、時空を超えて地続きの1つの世界のように感じられた。
 「一日の終わりに」は、前半はモノクロームの映像で描かれている。しかし、次第に世界は色づいていき、門脇麦さんと宮沢氷魚さんが再会する日がやって来る(ことを夢想している)。少し希望の光が見える結末に、私は安堵した。
 おそらく安藤裕子さんは「一日の終わりに」を、今のような世界が来ることを予見して作ったのではないと思う。疫病が蔓延する世界を経験し、歌詞の言葉のひとつひとつが以前とは全く違う意味を持ってしまった。「夜長姫と耳男」と同様、時代背景で同じ楽曲が違う意味を持つことを、このミュージックビデオを観て実感した。
 私は『コーヒーと小説』をそのまま増刷するのではなく、「一日の終わりに」のミュージックビデオのように、少しでも光明が見える最後にしたいと思った。以前から文庫サイズで出して欲しいというリクエストもたくさんいただいていたので、新たな作品を加えた新装文庫版にして、「夜長姫と耳男」で終わりではなく、未来に向けての希望が見えるような作品に仕立て直して発売したいと考えたのだ。
 早速、編者の庄野雄治さんに相談したところ、快諾をもらうことができた。そして庄野雄治さんに、新たに加える作品選びをお願いすることになったのだが、掲載する小説は即座に決まった。『コーヒーと小説』の作品候補の選抜にあたり、最後の最後まで掲載を迷っていた小説が2編あった。それが今回の新装版で新たに掲載した田山花袋の「少女病」と、国木田独歩の「忘れえぬ人々」だ。
 偶然にもこの2作は自然主義と呼ばれる2人の短編で、自然と人間生活をテーマにしながら、忘れられない人との思い出を描いている。少女病は、少し屈折していて衝撃的なラストではあるが、共にかつて出会った愛おしい人々との邂逅が綴られている。そして、この2作を読んでいて、この1年会うことができていない仲間たちの顔がいくつも浮かんできた。

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 疫病に翻弄される「夜長姫と耳男」の後にこの2作を加えたことで、『コーヒーと小説』にもうひとつの意味が込められた。そして、素晴らしい扉絵を描いてくれた木下綾乃さんに、新たに加える2編のための絵を描き下ろしてもらい、文庫サイズの新装版『コーヒーと小説』が完成した。
 カバーは今回も大沼ショージさんが撮影した安藤裕子さんのポートレートを使用した。優しいけれど、様々な思いを含んだ表情でこちらをしっかり見据えるその眼差しは、以前と同じ写真のはずなのに違った意味を持って見えてくる。
 以前と全く同じ生活はしばらく難しいかもしれないけれど、もう少しで疫病に打ち勝つことができる(と心から願いたい)2021年の秋に読むべき、未来に希望が持てる小説集が誕生した。未読の方はもちろん、すでに『コーヒーと小説』をお持ちの方にも新しい2編が加わった新装版を手にしてもらえたら嬉しい。5年前とは違う視点で読み解くことができる、新しい小説集に仕上がった。
 最後に編者の庄野雄治さんが「はじめに」で綴った文章から一部を紹介したい。これこそが、今を生きる私たちに必要なことなのではないだろうか。

 コーヒー屋になって何年もヒマだった。テレビもパソコンもない店だったから、とにかく一日じゅう本を読んでいた。そのほとんどが小説、しかも古典とされている古い作品ばかり。しかし、これがすこぶる面白かった。そして、それらの作品から、時代は変わっても、人は全然変わっていないんだってことを教えられた。自然災害の前では立ちすくみ、疫病に怯え、妻と仲良くする男には腹を立て、猫の足の裏はあたたかい。
 小説には、ノンフィクションや哲学書のように、何の答えも書かれていない。しかし、それが何より素晴らしい。読んだ人の数だけ物語がある。それは自分で考えるということ。正しいとされる答えを覚える勉強ばかりして育ってきた私たちに必要なのは、自分で考えるということなんだ。

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