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戦闘服を着たくなるとき

ガールズの皆さんのnote、「戦闘服(またはそれに近いもの)」を手に取るときの心境もまた人それぞれだなぁと興味深く読ませていただいています。

能動的に何かと闘ったり、何かから自分を守るためだったり、十人十色のストーリーがあるなぁと。

私の場合、「これは私にとって戦闘服なのか、戦闘服を着てもいいのか」と初めて意識したのって多分30をとうにすぎてからだったかも。身辺の様々な荒波が落ち着いて、前に進みたいと思った時でした。自分との闘いという意味では、広義には戦闘モードだったのだろうか。

逆に何か問題を抱えていて身を守りたかったときは、着ていて肌触りに癒されるとか、最早存在を消せたら、とかそんなことばかり考えていたような気がします。そこまで心身弱っているときに、武装までは到底考えが及ばず。嵐が止むまでシェルターが欲しいとすら思っていました。

意識する前はでは全く丸腰だったかというと、無意識に何かの選択はしていたんだろうなとは思うものの、親の過干渉からの自立がうまくいってなかったのと、人の目が気になりすぎて自分はどうしたい、どうなりたい、の軸が殆どなかったのかなと当時を振り返って思います。

以前も書いたように服は好き、だが好きと似合うのベクトルは多分違っていて、色々診断を受けたりして両者を擦り合わせていった。

そして、私に気づきをもたらしたのは多分だけど
似合うと好きが両立していたと思われるワンピースでした。当時の自分としては(今でも決して安い値段じゃない)清水買いで、試着の時はほぼ一目惚れだったけどいざ手に入って冷静になったら、これ着て外歩いていいのか?似合うと思ったのは気のせいでは。とややこしい感情が湧いてきて、買って2-3ヶ月塩漬けしていた気がします。

ある日意を決しておどおどしながら職場に着て行ったら、意外なほどに褒められ、その後も着ていくたびにあなたのそのワンピース好き、とわざわざ言いにくる同僚がいるほど。へ、このぐらいやっちゃっても大丈夫なんだ、と拍子抜けしたような安堵したような(職場はかなり服装は自由度高い方です)不思議な気持ちでした。

その後そのワンピースを着ることに何の抵抗もなくなった頃に人生の転機がやってきたので、思い返せばあれは自分に自信をくれた服、戦闘服のような存在だったなと思います。今でも処分せずとってありますが、さすがに1枚ではもう着れないです笑。

その後もさまざまに戦闘服を欲する機会が訪れましたが、トラブル解決だったり前進だったり、良い変化のきっかけになってはきたのかなと思いますね。着る物を変えて周囲からネガティブな反応されたら、と恐れもしましたが、着ている自分が当たり前と思えるぐらいになるとそんな事を言ってくる人はいなくなり、味方の方が増えた。その積み重ねが、迷惑にならなければ着たい物を着て大丈夫という自信に繋がってると思います。

そもそも最初に気付きが訪れるまでは、戦闘服を着て前に出る自分なんてありえない、という思考からスタートしてるので、、低い自己肯定感から抜け出す手助けにはなったのかもしれません。服一枚の選択ががセラピーになりえるんだわー。

そんなことを思いました。ほぼメモ書きですがこの辺でおしまい。



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