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ないと思っていたものは視界の外にあった(女性性とセクシーさの話)

女性性とかセクシーさとか、他JJGsの投稿を読んでつらつらと考えておりました。というのも、30位で親の過干渉から自立するまで、自分にも「あるもの」という感覚が常に薄い人生を送ってきたから。

事の発端は多分、幼少時代、怒った私を咎める母が私に対して常に言っていた、「唇とがらせて、変な顔 ずっと怒ってるとそのまま変な顔になっちゃうよ」という台詞だったと思います。教育と称してその他諸々、今思えばわざわざ言う必要のない言葉を色々かけられてきました。

両親共働きで、いわゆる母性を感じていたのは日中面倒をみてくれた祖母に対してだった。夜帰宅しても親子の時間とはならず、テストの点数チェックと人格否定的なことを言われるだけ。何か気に入らないことをすると本当にめんどくさそうだったのはよく覚えている。

テストの点と面倒を起こさないかどうか以外に子供に興味ないのか?と悲しくなり、「この家では私の気持ちがないもののように扱われている」と何度も言いましたが、母から返ってくるのは「この前〇〇を買ってあげたんだから」「お前は親戚の〇〇おばさんから可愛がられているんだから」気持なんか考える必要はない、という内容の答え。

それは私が大学で家を出るまであまり変わることがなかったので、もうこの人に何言っても無駄だと絶望し、ここに居続けてはいけないと思った。大学入って、当たり前に大事に育てられて親にも素直に感謝できる同級生が沢山いて眩しすぎたけど、「そちら側」の人間として振る舞った。当時より今は気持ちの整理はついたが、親との関係が薄いことは今でもコンプレックス。

話を戻して「変な顔」という言葉、いい大人になれば相手にしない判断もできますが、4-5歳の幼児だった私は言葉通り?受け取り、そうか私変な顔なのか → 変な顔だからすぐ怒られるのか → 変な顔だから小学校でテスト90点とっても残り10点の間違いを責められるのか →  変な顔だから妹より性格が悪いと晒されるのか → と、どんどん拗らせた子供に仕上がっていき、割と小さい頃から将来を悲観して家の中でも荒れていました。

そこで母の反応は、というと、言い散らかしたことはすっぽり頭から抜けて、まるで私自身の生来の性格の問題かのように、卑屈だ自己中だと責めて面倒くさそうな顔で睨まれるだけ。

その後も高校ぐらいまで、親戚のおじさん複数にまで容姿のことを男顔だの顔はまずいが勉強できるだのいじられていたので、フェミニンとは言い難い顔立ちと拗らせた内面がそうさせていたのかもしれませんが、わざわざ言われなければならないほどにひどいのか、もはや生物学的に女性として存在している意味。と当時は割と深刻に悩んでましたね。Adoの「ギラギラ」の世界そのまま。初めてこの歌聞いたとき、余りに当時の心境そのままでドキっとした(自分の子供でもおかしくない年のAdoさんですが、才能の塊。かなり好き)。

そんな育ち方で、そのままで容姿や内面を受け入れられた経験がかなり薄い子供時代だったからか、すぐ人と比べたくなるし、何に対しても自信とモチベーションがゼロ、不安ばかり強い。そのまま大人になると、今度は成熟した女性となった自分のイメージがいつまでたっても持てなくて悩む。

癖のある男性にばかりなぜか好かれ、不毛なお付き合いを何度か繰り返し、さすがにまずいと思い、婚活カウンセリングに通ってたこともあります。そこでカウンセラーに、自分に女性性・セクシーさがないから実る恋愛に結びつかないのだろうかと相談したところ、

「ないんじゃないの、あるのよ。男性から見たら、ムンムン漂ってるぐらいなのに、自分じゃ見えてないのよ。」

と言われてまさか!?どこに??と暫く自問自答の日々。。自覚のない私はやはり欠陥商品なのか。とドツボにはまっていきそうになりましたが、そこでふっと、

難しく考えないで、誰が何と言おうとも「ある」と思えばいいのでは
「ある」ことを否定する自分もいたのでは
「ない」と思い込み無自覚に不特定多数に振りまくからややこしいのでは
向き合い方が分からないだけなのでは

という考えが降りてきて、よくわかりませんがすーっと楽になりました。
その後ほどなくして夫に出会っているので、いろんな意味で思い込みの罠の影響は侮れない。それもこれも、親から一旦距離を取る選択をしたからわかったことで、色々揉めたがあの時の私good job。そうでなかったら今頃生きていないかもしれないです、まじめな話。

その後結婚、妊娠して、お腹の子が女の子と分かった時も、子供が生まれることは嬉しかったけど、諸々認知の歪みを抱えてきた自分にちゃんと育てられるか正直自信がなかった。母と同じことを娘に言いそうになり言葉を飲んだり、表に出さないところで内心ぐったりしていたこともありました。

幸い?娘は主張が激しく私の空回りの気苦労でどうこうなるタイプではなく、家庭内の空気をかき回してくれるので、面白大変に子育てをしています。本人との関係性より仕事とのやりくりのほうが頭を悩ませているかも。

気付きがあってからかなり時間が経ちましたが、女性性・セクシーであることを今どう捉えているかといえば、当たり前に自分の中にあるし、どう出すかは自分のために、自分で選べること というゆるい感じでお付き合いしています。一度「ある」と定義づけできたら、足りないと悩んだり義務感にかられたりしなくてもいいんだと気が楽になったのかも。あと一回りぐらい歳をとっても忘れずにはいたいですね。おじさん化せず、小綺麗な年寄りになっていきたい。

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