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溺れる者は藁をも掴む

一時期誰よりも信頼していた事もある友人に、ほぼ一年ぶりに会い、お互いの近況やあれこれを話し込んだ。

ある意味でヤツ(性別等伏せたいのであえてこう呼ぶ)に期待していた部分もあった。
日本の歴史が好きで詳しかったヤツは、当時まるで興味関心のなかった私に大正天皇すり替え説やフルベッキ写真の事を教えてくれた事もあったから、何者かによる歴史の捏造やいわゆる陰謀論と呼ばれる話題にも聞く耳を持っているかもしれないし、そこから繋がる世の中の異常性や茶番についてを語れる感性と言う点で自分と似た部分を持ち合わせているとどこかで期待していたからだ。

結論から言って、私はヤツを買い被っていたのだろう。
久しぶりの再会は、後味の悪い結果として残ってしまった。


ヤツの家族とも面識がある。
特にお父さんには何かとお世話になった過去もあったから、会話の皮切りは「家族はみんな元気にしてるの?」だった。
すると思いもよらない答えが。

詳しくは割愛するが、年明けすぐにお父様が突然倒れ生死の間をさまよったと言う。
病状を聞いて…私は遠慮がちに尋ねた。

「枠は…打ってるの?」

その答えを聞いて、一瞬にして悟った。

「そりゃ何度か打ってるよ。
  でもそれは絶対関係ない!」

必要以上に強い否定だと感じた。
そこまで断言する意味を暫し考えていた。

そう言えばヤツと二年くらい前に会った時、疑問を持って調べ始めていた私を一笑したんだった。
枠についての懸念、この騒動のおかしさ、狂い始めたこの国と多くの国民に違和感があった私の疑問を、「そんな事ある訳がない」と切り捨てた。
そして「そういう事を考える人ってのは、右翼みたいに攻撃的だから好きじゃない」とも言っていた。
思えばあの頃から私達が見ている世界は、既に違っていたんだと思う。



遂にこんな記事がYahooでも出て来た。
敢えて枠のワの字も出さないあたりが、かえって不自然さを増幅させているが、疑問を持って調べていた層は、もっとずっと前から懸念していたしわかり切っていた事だ。
コメント欄も既に多数が同意見。
少し以前とは世論もかなり変わった。

今やWHOさえ推奨しないと言い出した事実は、果たしてヤツには届いているのだろうか。


その後も他愛ない話題に終始したかったが、一度振り切った内容でヤツはヒートアップしていた。
マスク一つとっても「そんな事はどうでもいい」「自分はマスクが好きだから付け続ける」と頑なに言っていたし。
敢えて議論したくなかったからなるべく返さずにいたけれど、話の矛先は結果私が責められている様な感じになっていた。
私には…こちらを否定する事で、頑なに何かを拒絶している様に感じていた。

極めつけは帰り際の言葉。
「自分は調べていないから詳しくはわからないけど、調べているからって感じで話すのやめた方がいいよ」

嗚呼、ヤツもそういう風に感じるんだ。
思えばこれまで対面で567騒動の異常性を話した数少ない(対面ではわかる人としか話さない事にしている)人の中で、政府やメディアの発表を信じている人は皆一様に同じ様に言うんだ。

「上から目線だ」
「バカにしている」
「マウント取りたいの?」

しかもヤツの場合ハッキリと自分で「調べてないからわからない」と言ってるのに。
この言葉に多数派の心理を垣間見た気がした。


人は自分の過ちを認めたくない生き物だ。
年齢を重ねれば重ねる程にそれは顕著だし、この騒動でわかったが、社会的地位が高い人や頭が良いと言われる人に特に多い。
もう一つ付け加えると女性より男性に。

「頭がいい」「いい大学を出た」「いい仕事に就いている」「偉くなっている」と言う肩書きやレッテルを持つと、人はいつのまにかそれらが自身の存在意義となり、やがてプライドとなって行くのだろう。
その高くなったプライドを持つ自分が誤った判断をする訳がないし、まして自分より格下(男性は女性を格下に見ますよね、往々にして)の者から自分が知らなかった事を教わるのが許せない。
だから「上から目線だ」「バカにしている」「マウント取りたいの?」なんて事を言い出すんじゃないだろうか。
こっちは勝ち負けとかそんなレベルの話をしている訳じゃないのだけどね。

一度信じた事を覆すのがかっこ悪いと思っているのかもしれないが、しかし完璧な人間などいないし、人は間違える生き物なんだ。
間違いに気付いた時それを修正し塗り替えて行けるかどうか。それが大切なんじゃないかな。
下手なプライドにしがみついて等いられない。
その都度軌道修正をしていかなければ生きて行けない時代になってしまった。
無論そんな世の中にしてしまったのも、大多数の「調べない」「考えない」「興味ない」日本人が撒いた種なのだけど。



この方のツイートはだいぶ前から共感できる事しきりで、正にこれなんですよ。

たかがマスク。されどマスク。
頑なに外せない行動の裏には、隠したい何かがあるのかもしれない。
それは自身の弱さとか色々。

帰り際にもしっかりとマスクを付け直して一人運転する車に乗り込んで去って行った友人。

567で色々な人間関係が炙り出され試されたけど、この日ほど失望した事はなかった。
もうしばらくヤツにわざわざ時間を取って会う事はないだろう。
少なくとも私から働きかける事はない。

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