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かぎ針編み、始めました。

 私が毛糸に初めて触れたのは幼稚園の頃だった。幼稚園の教育プログラムの中に、織物があったのだ。円形または長方形のハンドサイズの織り機があり、円形は2枚、長方形は1枚仕上げると先生がそれぞれポシェットにしてくれた。縦糸の上、下、上、下ととても甘い針先の、でも幼児にとってはドキドキするような針を動かしながら織物を仕上げていったのだ。これを私たちは「編み物」と呼んでいた。

 冒頭で一度「私が編み物に初めて触れたのは」とタイプしてから「毛糸に初めて触れたのは」と書き直した。織物と編み物は別物だと思ったからだ。もちろん、英語でも織物と編み物は全く別物だ。

 だが、日本語では編み物と一緒くたにされている棒針編みとかぎ針は別物だと知り、英文パターンやKCAL(一緒に編みましょう企画)を見るたびに興味深く感じている。

 確かに、棒針とかぎ針は同じ編み物と括ってしまうには全然違うのだ。今日は編み物を知らない方へ棒針とかぎ針の違いを伝えてみたいと思う。

 棒針は、方眼紙だ。作り目を横のマスとして、一段一段積み上げていくイメージである。その方眼紙に絵を描くように模様を編み込んだり、柄を編み込んだりする。もちろん長方形以外のものも編めるが、方眼紙を1マス横に広げたり方眼紙の真ん中に穴を開けたりするイメージで、ビット絵を描くのと同じと思ってもらえれば良いと思う。

 一方で、かぎ針編みは自由である。もくもくと雲が大きくなるように、絵の具が広がっていくように、放射線状の広がりが可能なのだ。起点を点にすれば円が作れるし、起点を線にすれば長方形にもなる。都市と都市をつなぐ幹線道路のようにモチーフを繋げて進むこともできる。

 同じ糸を操ってものを作る棒針編みとかぎ針編みだが、使っている頭は全然違う。ビット絵的な棒針は特殊な操作をしない限りキャンパスサイズは変わらない。一方でかぎ針はキャンパスサイズを増やしていくことこそが編無ことそのものになっている。私は棒針の方が脳みそが楽で、なんだかんだ棒針編みをしている時間の方が長かったと思う。

 しかし、ツイッターで私の編み物をみてくださって、「久しぶりに編み物してみようかな」とおっしゃってくださった方は皆かぎ針派だったのだ。当然かぎ針編みに関するツイートが増え、ついつい手に取ってしまった。かぎ針とレース糸を。

 私は息子が生まれてから30代前半なのに老眼になってしまった。文字を読むのに支障はないが、編み目が厳しい。なのにレース糸とは私は自分の限界に挑戦する気なのだろうか。何やっているんだと思いつつ、今日は職場で使うコースターを編んでいる。

 編んでみるとかぎ針は楽しい。棒針になかった曲線美がある。モチーフが作れる。編みたいものがどんどん出てきてしまった。どうやらもうすぐかぎ針旋風が巻き起こりそうな気配である。

 

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