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絶対忘れない日👼🏻

2021年8月27日に私は子供を下ろした。

~出会って付き合うまで~

私が社会人2年目の時に、新入社員が入ってきた。その中に元自衛隊で私の6個上の人がいたんだけど、パッと見て高卒の人かと思いきや年上だったことは今でも覚えてる。製造部だけど違う分野やったんだけどわからんこととか聞いたり教えたりしていくうちに仲良くなっていって、製造部の歳の近い人達と遊ぶような仲になった。ある日、みんなでカラオケに行ってお酒を飲みながら歌ってたんだけど、私は飲みすぎて潰れてしまった。自分の家には帰れないからその人の家に運ばれた。その時の記憶はあんまりないんだけど、流れで一緒に寝たのは覚えてる。後日、何回かその人の家に行ってご飯を食べたりした。まぁ一緒におると楽しいしっていう軽い気持ちで付き合うことになった。

~楽しい時間~

私たちはそこから半同棲生活が始まった。ほぼ同棲。仕事では、苗字で○○さんって呼んで。帰ってきたら、名前で呼んでいた。ご飯は彼が作ることが多くて私より料理が上手かった。なかなか休みの日を合わせることが難しいんだけど同僚に協力してもらって合わすことが出来て、旅行に行ったりした。彼と色んなとこ行ったり、美味しいものを食べたり、何気ない日常がとても楽しくて幸せだった。

~遠距離~

ある日、彼から大事な話があるって言われた。俺愛媛に転勤することなったって言われて、悲しくて泣いてしまった。それなら私も仕事辞めて一緒に行くと言うと、ありがとう待ってるわと言ってくれた。そこから私が仕事を辞めるまで遠距離になった。
遠距離でも月に1回のペースで会っていた。会った時に彼が仕事で疲れててあとコロナが流行ってるというのもあって2日間くらい家で過ごした。私的にはせっかく会えたんだからどこか行きたいっていうのがあってケンカしたりした。でも、帰る時にはやっぱ寂しくなって仲直りしていた。

~愛媛上陸~

私は上司に仕事を辞めたいと伝えて半年ぐらいたった頃にやっと辞めさせてくれた。そして2年間お世話になった部屋を綺麗にして愛媛に飛んだ。彼の家に着いて私の荷物を置くのに3日間もかかった。彼の部屋は散らかってて掃除から始めないといけなくて大変だった。私は仕事を掛け持ちでして朝から夜まで忙しい日々を送った。休日は一緒に買い物に行ったりした。だけど、次第に彼は仕事で疲れたからと言って仕事以外は家でダラダラと過ごすようになった。時には、私が貸したお金で納車したバイクで出かけることが多くなった。私だって仕事で疲れてるんだよって言いたくなったけど、我慢した。仕事行ってご飯作って洗濯して掃除して私だって家事と仕事をしてりゃ疲れる。なんで、彼の親でもないのに全部しないといけないんだろう...。私って彼にとってなんなんだろう...。2人で暮らしてるのに1人でいる時間が増えた。日に日に辛くなった。
愛媛に来て5ヶ月たった頃にちょうどお盆の時期になり私は帰省することにした。帰省すると、毎日友達と遊んだ。愛媛に知り合いがいない分とても楽しかった。宮崎に居りたいなぁと思った。

~妊娠発覚~

お盆が終わったので愛媛に戻ることにした。正直戻りたくなかった。次の日から仕事に行った。でも、体調悪くなって2時間もしないうちに早退させてもらった。
実は言うと、7月後半くらいから今まで大丈夫だった匂いを嗅ぐと吐き気がして気分悪くなったり、長時間立つのがきつくなったりしていた。ちょうど夏で熱中症が増えてくる時期だったから、夏バテだと思っていた。
だけど、それを店長に相談したら、「もしかして妊娠しているんじゃないか」と冗談っぽく言われた。私は絶対ないと言い切ったが内心そうかもしれないと思った。早退した帰りにすぐ妊娠検査薬を買った。買ったはいいもの結果を見るのが恐くなり、次の日の朝にすることにした。朝起きて、彼に気づかれないように妊娠検査薬で調べた。
結果は陽性。

どうしていいのかわからなくなった。彼に言おうと思ったが、彼は仕事で疲れてたりイライラしてたりしてて話せなかった。1人でこのことを抱えるには大き過ぎた。勇気を振り絞って、お母さんに相談した。相談するとすぐに返信がきた。「彼氏には言ったの?2人で育てられる?」
とりあえず彼に言ってみると返した。
緊張と不安でドキドキさせながら彼に妊娠のことを言った。私は顔を伺ってると、彼は「えっ……。」って言った。その一言で嬉しくないんだとわかってしまった。
彼はバツイチで元嫁のところに2人の子供がいるため、毎月養育費を払い続けていた。だから、お金の余裕なんてないのはわかっていた。だけど、悲しかった。
彼に私はどうしたいのか聞かれた。私は妊娠してしまったのだから産みたいと弱々しい声で言った。
彼は「 子供産むのはお金かかるとよ、今お金に余裕ない。でもみゆきが産みたいなら産んでいいし、下ろしたいなら中絶してもいい」と返した。
自分の子に対してこんなこと言うんだ。他人事かのように言われて胸が苦しくなった。
私は、何も言えず家を出た。涙が止まらず仕事が始まるまでずっと泣いていた。
それから1人で沢山考えた。私の中には新しい命が宿っているそう考えると嬉しい。だけど怖かった。
夜もまともに寝れなかった。
彼と別れるか。子供を下ろすか。なんでこんなこと考えないといけないんだろう。私、最低なお母さんだな。ごめんね、赤ちゃん。私のせいで...。こんな気持ちでいっぱいだった。

〜決断~

私は人生で1番悩んだ。
妊娠がわかってから1週間後に私は決断した。
本当はもっと時間をかけて考えないといけないけど、私にはその時間がなかった。
病院の先生に下ろすことを伝えた。
この決断は正しいとは言えないだろうけど私の考えた結果だ。
赤ちゃんが産まれて、その子が成長して自分は望まれずに産まれたっていうことを知ったら悲しむだろう。心から私はその子を愛せることができるのか不安だった。
私は弱くて最低だな。逃げてばっかりだな。

手術当日、怖くて怖くてしょうがなかった。
麻酔をかけられたけど、あまり効いてなくて痛いし、吐き気するしでも意識があるからずっと痛いしか言えんかった。
本当に死ぬのかと思った。
手術後は2時間くらいそこから動けなかった。
人生で1番痛い経験をしたけど、きっと本当に子供を産む時の方が痛いんだろう。
そう思うと、お母さんには感謝したい。
これ以上の痛さに耐えたお母さんは強いな。
私は私のお母さんみたいになれなかったけど、いつかまたその時がきたら強いお母さんになりたい。そう思った。

~その後~

私は、下ろしたあと1人で宮崎に戻った。
彼とは距離を置いた。
3ヶ月後、私の心が落ち着いて彼とは別れることにした。
また一緒になることが想像できなかった。
会いたいと思わなくなっていた。
自分自身が変わっていくのがこわい。

彼と出会って色々考えさせられることばっかりだった。彼が居たから楽しい時間を過ごせたし、行ったことのないとこにも行けた。
だから、彼との出会いをなかったことにしようとは思わない。
だけど、妊娠のことについてはただ悲しかった。先のことを考えていたのは私だけだったみたい。
その時、「価値観」っていうのはこういう時に使うんだと思った。お互いの未来像が違えば、交わうことすらない。
彼は、私にとって運命の人じゃなかっただけなんだよな。それに気づけなかっただけ。
だだそれだけのこと。
そう思わないと先に進めない気がする。

あの日から1年経って、下ろしてしまった赤ちゃんの事で眠れない日は少なくなってきた。
あの事を忘れていっている訳じゃなくて、後ろばっかり見なくなってきていて、そう、これから先のことつまり前を見ていってる気がする。
前に進むからと言って、絶対に下ろした赤ちゃんのことを忘れることはない。
絶対に忘れない。
なかったことにしたくない。

もし、また私に新しい命が宿ったら同じ行いをしないと決めた。シングルマザーになろうが自分の子供を産みたいって思う。
「お母さん大好き。産んでくれてありがとう。」って言えるような素直な子に育てたい。
そう言ってもらえるような強いお母さんに私はなりたい。
もし、その子が大きくなったら下ろした赤ちゃんのことを伝えたい。きっと、複雑な気持ちになると思うけれど全部伝えて、生まれてきてくれてありがとう。私をお母さんにしてくれてありがとうって言いたい。

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私の投稿を見て、いい気持ちにならないと思います。それでも、こんな経験した人もいるんだなっていうのを知ってもらいたいたいです。




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