長年サポートをやってくれているDr(とモノマネ)の内田稔から、彼が10代の頃にサポートをしていたバンド「狂乱」の話は何回か聞いたり当時の写真を見せてもらった事はあったのだが、彼のポストでようやく動画を拝見できた。
もうバチバチのパンクバンドで、なぜか何回も見てしまった。
最初は若き日の内田稔に釘付けだったのだが、世の中の全部が気に食わなくて、ただただ怒りとか暴力とかそういった衝動を音楽にぶつけてる感じのバンドが大好物なので、ただただヘビロで見てしまった。
俺は15歳で初めてバンドなるものに触れたが、そもそもの動機が「当時好きだった女を振り向かせたい。」という昔のバンドマンによくある動機から始まったので、こういった負の感情を爆発させるような衝動はなくはなかったがそれほど大きくなく、バンドブームの影響を受けたただのバンド小僧だった。
milktub結成当時も「モテたい」という感情は当然あったものの、それ以上に「何者ではない何か」になりたかったし、「普通のサラリーマンなんかならねえぞ!」と思っていた。勢いでタトゥー入れたりとかして。
結果、普通ではないがサラリーマンもやってたケド。
ただ50歳になった今はモテたいよりも未だに「何者ではない何かになる方法」ってのを探してながら生きてるなぁという事を狂乱の映像を見ながらボヤーっと考えていた。
昔は「妄想」だったけど、今はそれを「実現できる可能性」を持ってしまった。いや持ってしまったってのはおかしいな。年齢重ねるごとに覚えていったってのが正しいのかな。
10〜20代の頃はいわゆるガチガチのパンクバンドの人程ではないが、嫌いなものがあったり中指立てまくった時期もあったが、やっぱりそういう気持ちってのは忘れちゃいけないよなーと思う。
思うに普通のバンド界隈で生きてこずにエロゲ業界という中に飛び込んで、相当色々な事と戦ってきたつもり。馬鹿野郎!くそ野郎!死ね!と思う事も多々あったし、実際リーガルバトルやリアルバトルにもなったし。
まぁアダルト業界ですから偏見も沢山ありました。
流石に協調とか調和とかも覚えたり、自分の中の線引きのラインが下がったりしても、表に出さずとも心の中で中指立てて生きて「嫌なものは嫌だし、嫌いなものは嫌い。」って精神であるのは死ぬまで持っていたい感情だなと思いました。
何がロックで何がパンクかなんてのは散々ロックンロール!とか言ってる自分でもいまいちピンと来てない部分なので、そういうカテゴリー区分は俺が死んでからの評価になって欲しいなと。めんどくさくなったw
俺はただただステージでは「終わらない文化祭」と、「誰かの人生の最高の夜を更新する為」にmilktubを続けているだけなのだ。
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