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我が家にまつわるスピな話⑥勘が良すぎてひらめきが次々“当たる”話

ひらめきっていうのは、なんでしょうね。
読んだり聞いたりしたことや経験とかが脳にたまっていって、そこから導き出されるものなのか。
天から降ってくるものなのか。両方か。

予告通り自分の話をしようと思う。
私は幽霊を見るような霊感はない。オーラはみえる。
とても勘がいい(第六感?)。運が良すぎる。願いを叶えるのがうまい。

願いを叶えるのが上手い、というのは推定4才からなると決めていた漫画家になれたことが最たる例だ。そして20人以上いた同期が誰もいなくなるくらい長年続けられたのも運が良いからだろう。
他にも、なんとなく『これがいいな』と思っていたものが叶っていく。
漫画家は不安定だし結婚相手は安定したサラリーマンがいいな、とか、神奈川に住みたいな、とか…
自分で決めるんだから当たり前とも言えるのだが。

神奈川の短大に進学したが就職氷河期。そのまま神奈川に住みつきたかったのだが、地元で公務員となった。東京神奈川の企業を受けていたが、母に「募集してるから受けてみたら」と言われ帰省がてら受けてみたら内定をもらった。地元はそこしか受けておらず、都心でもいくつか内定をもらえたが、結局『漫画家になるために漫画を描く時間がありそうな仕事』と渋々地元に戻った。定時に帰れると思ったのだ。
そして付き合い始めた彼は地元企業に勤めていて『この人と結婚したら一生地元か…神奈川に戻りたかったな』と思っていたら、不況により彼の勤めていた会社は都心の大会社に吸収合併され、私の漫画家の仕事も順調で…結果的に私は神奈川に戻れることになったのだ。

転勤が決まった時にプロポーズされ結婚したのだが、その後彼は仕事に悩むようになった。私にはどうにもできない。休日にはドライブが好きな彼と色々行っていて、日光東照宮へ行った。その時に私がした願い事はひとつ。『彼が楽しく仕事できるようになりますように』と、笑顔で働いている彼の姿を浮かべた。それから10日もたたないうちに、彼の元へ良い知らせが届き、彼が望んでいた本社の部署へ異動でき、毎日ウキウキと仕事に行くようになりホッとした。

不妊治療にしても、年齢的に2%の可能性と言われていたが『やるだけやろう』と休業し3年半粘って、◯歳まではと決めている年齢が目前に迫った時に授かった。
3年半あらゆる努力をし毎月落ち込むような大変な思いをしたが、それでも授かれない人もいるのだ。運が良かった。今でも娘のいる生活を『夢の生活をしているなぁ』と感謝している。あの頃の私が今の私に贈り物をしてくれたと思うのだ。

とにかく『自分は運がいい』と感じることが多く、そう信じ込んでいるから頑張れる、粘れるというところも大きいと思う。私はしつこい。良く言えばコレと決めたものはあきらめずにできるまでやるタイプなのだ。
実を言えば、今など客観的に誰が見ても私の状況はどん底なのだろうが(ちょっとここで言えないくらいだ)、運がいい(と思い込んでる)ので希望に満ちあふれている。骨折もしているが、しばらく家にいろという事だろう。

勘がいい話にうつる。

小学校の低学年の時だ。
その頃流行っていたのだろう、超能力カードみたいなもので遊んでいた。裏と表のある10枚くらいのそのカードを神経衰弱のように裏返して置き、どの模様か当てる遊びだ。ほぼ的中していたが「これ誰でもできるし」と思っていた。
これはこのくらいの年齢だとあるあるだと思う。子供は勘がいいものだ。長く生きるうちに要らない情報が増えていって勘が鈍るのだと思う。

夏になるとアイス代50円をもらい、近所の小さな商店に行って、ガリガリくんを買っていた。
当たりを狙って「これだ!」というものを買う。当たる。そこから6〜7回連続して当たった。毎回当たり棒と50円で2本ガリガリくんを食べていて、どちらかは当たりだった。
さすがにお店のおばさんが、毎回当たり棒を持ってくるからだろう、私が来るといぶかしげな顔をするようになったため、6〜7回目で引き換えるのをやめた。
そのうち自分の中でほとぼりがさめて、ルパン3世のアイスを買った。これがまた、連続して6〜7回当たって、これはまずいかもしれないと思い、引き換えるのをやめた。
大人になって思い返すと、何が不思議かって、当たるのは勘がいいとして、そんなに当たりがあるものなのか?ということだ。私だけ当たり棒を当ててるわけではないだろうし…

小学3〜4年くらいの時だ。
前の席の男の子が振り向いて、10円玉をてのひらで挟んで「表が裏か?」と聞いた。
パッと浮かんだ方を言うと、当たり。続けてまた聞かれる。当たり。それが10回以上続いて、「なんで?なんでわかるの?」と驚きながら彼は続けた。
私も10回以上になってきたので、パッと浮かんだのと逆を言ってみた。やっぱり外れた。つまり、私的には当たりだ。男の子は「なーんだ、わかるんじゃないんだ」とそれをやめた。

そういう勘の良さは誰でも持ってるように思う。
よく言われるが、邪念や欲が絡むと勘が働かなくなるように思う。先日ふと『無欲で宝くじ買ったら当たるんじゃ?』と思った。無欲になる方法を考えた。「当たったら寄付する」だ。あしながおじさんとか、子供達の未来に活かせるところに寄付しよう、そんなふうに考えてたらワクワクしてくる。無欲で買えるかな?

30代の時に住んでいた街では「ここに焼肉屋が入れば良いのに」と言った場所に焼肉屋ができる、「ここにあったお好み焼き屋さん美味しかったな〜戻ってこないかな〜」と言った場所にまさかそのお好み焼き屋さんが舞い戻ってくる、「近くに◯◯のお店ができれば良いのに」しばらくするとできる、と一時期は当たりすぎてリアルシムシティかと思った。
たぶんもう決まってるのを感じ取っていたのだろう。

高校に入学してできた友達が「秘密にしてることがあるんだけど、いずれ話す時が来ると思う」と言った。まだ入学から間もなくて突っ込んで聞けるような関係でもなかったし「そうなんだ」程度に返事をしたが、帰宅して『なんなんだろう』とぼやーっと思っていた。シャワーを浴びていたら急にピーン!と「わかった!」私の中できっとそうだ、というものが浮かんだ。
翌日に「昨日の話、もしかしてさ…」とその子に話すと「なんでわかったの!?」と顔色を変えた。
浮かんだから、としか言いようがなかった。

似たようなことが20代の時にもあった。
ある友達が急に電話をしてきて「話したいことがあるんだけど家に行ってもいいかな?」と言う。来たら聞こうと思い「わかった待ってる」と返事し、迎える準備を始めた。『なんなんだろう…』と思いながらテーブルを拭いていたら、ピーン!ときた。「わかった!」彼女は話したいことがあるとだけ言っていたので、何に関する話なのかもわからなかったのだが、なぜか私の中で突拍子もないことが浮かんだ。突拍子もないのにきっとそうだと確信したのだ。
さすがにそれは「こうなんでしょ?」と言って外れたら失礼になりそうな内容だったので、友達が来て話し出すのを待った。やはりその突拍子もないことが起きていた。話を聞いても私が驚かないので友だちから「なんで驚かないの?」と聞かれた。

こういうのは虫の知らせみたいに言うんじゃないだろうか。母からも似たような体験談を聞いたことがある。
私にはひらめきみたいにきて、自分が知らないことなのに「きっとそうだ」と確信するのだ。

20代以降は、ふっと誰かの顔が浮かんだら連絡を取る、というのが私のルールになっている。
すると「出産予定日からだいぶ早いけど今から産院に行ってくる」「数日前に母が亡くなって…」「今日、失恋した」など、顔が浮かんだ子になにかがおきていた。
勘がいいというか、テレパシー的な、私宛ではないけど、なにか友達に普段と違うことが起きた時にその子の様子が違うみたいなのを感じ取ってるのかな…?なんて思った。

不妊治療で休業していた時、なぜかある漫画家先生のことがよく頭に浮かぶようになった。『最近お見かけしないけど、凄く才能がある方なのにやめたならもったいないな』なんて思っていた。
そんなある日、担当して頂いた事がない編集さんから連絡を頂き、新しくできたデジタル漫画部署で連載しないかという打診が来た。その時にお声がかかったのが私と私が気になっていた先生の2人だったのだ。
この時は、その編集さんからのテレパシーを感じていたのかな…?なんて思った。

いつからか、自分のことについてもひらめきが来るようになっていた。「メッセージが降りてきた」と言われているものではないかと思う。
言葉で喋りかけられたりするのではなく、ポンっと頭に入ってきたものが脳で翻訳?されて、一瞬でその意味がわかるのだ。
そのため、『なにかあればメッセージがくるから』という妙な安心感を持つようになった。

ある時は私に大きなショックがあり、大号泣した。そのうちに頭の中が空っぽになり、ただただ泣いている感じになった。その時ポンっと『来年になったら大丈夫』と入ってきた。来年というか、時期的に来年になるというのがわかり、大丈夫というのはそれが解決しているというよりその頃には多幸感でいっぱいな状態にあるよという感じだ。
そう確信してさっきまで絶望感で大泣きだったのがルンルン気分になった。そして実際にそうなった。

こういったことがある人は意外と多いのではないかと思っている。とくに作家さんや創作者は多そうな気がする。あと、スポーツで極めようとしている人も。私が陸上部で活躍していた時も色々と感じていた。
私が思うに、スポーツや創作に打ち込む時は瞑想状態になるのではないかと思う。
日々そうしていると“勝ち筋が見える”みたいな…ゾーンともいうのかな?に入るんだと思う。

なので、勘がするどくなりたい人は瞑想するといいと思う。スポーツや創作活動でもいい。ネットで情報を受け取るだけではなく、頭が空っぽになるくらい何かに打ち込むかもしくは瞑想。難しく考えなくていい、頭を空っぽにして何も考えないような時間を確保するのだ。読書なんかもいいと思う。
瞑想というと「は?」となるけど、言い換えれば何も考えない時間をもつことってだけで。

これは私の考えだが、みんな同じだけ第六感はあるのだが、頭の中のお喋りだったり取り込んだ情報だったりが多すぎて、頭の中がうるさいから気付かないんだと思う。本当に大切なことは小声でくるから、静かにすること、耳を澄ませることが大切なんじゃないかと思う。
(私に邪念や欲はあります!笑)



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