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「センスは知識からはじまる」を読んで。

「センス」という言葉が大好きで
センスあるな〜とかセンス無いなっ!!とか
高校生くらいから良く使っていたと思います。

「センス」とは、生まれ持ったものだ
と思っていましたし、自分は周りより少しは
センスがある方なんじゃないかなとも思っていました。

でも、自分の感性でブランドを作ったり
多くの人から共感してもらえるような
プロダクトが作れるめちゃくちゃセンスのある
かっこいい人間には絶対になれない。

そう思っていました。

この本を読んだからと言って
そんなハイセンスな人間になれるのかといえば
そうではありませんが、少しずつ近づくことは
可能なのではないかと思えるようになりました。

センスとは生まれつきの才能である。

という解釈をしている人が沢山います。
しかし、センスは全て生まれつきで
決まるものではありません。

例えば、走り高跳びという競技で考えてみると
ある一瞬誰よりも高く飛ぶ為に
筋力を付け、助走のスピードを向上させ、
食事に気を使い、高飛びに関する
あらゆる知識や技術を身につけて、試合に挑みます。

何もしてこなかった一般人と
あらゆるトレーニングを積んできた選手が
同じ土俵に立って戦ったときの勝敗は
目に見えています。

この時「センス」というものは

ほとんど存在していません。

あらゆる知識と努力
そして継続的なトレーニングが勝利をもたらします。

「センス」もほとんど同じだと
私はこの本から解釈しました。

スポーツに勝敗があるのに比べると
センスには勝敗がない為「ほとんど」
という言葉を使いましたが

何もしなければ
センスのある人間にはなれないし
スポーツのように努力を重ねればセンスのある人間になれる。

そういうことだと思います。

この本には「センスとは何か」そして
センスを身につける為に何をすればいいのか。

そんなことが書いてありました。

その中で

「センスが知識の集積とするのなら
言語化できないというのはありえない」

というような文がありました。

「なぜこれはセンスがいいと思ったのか」
それを言語化できる力があることが本物だ
ということです。

豊富な知識を持ち合わせていれば
相手に響く精度の高い言語化が
可能になります。

これから、私も「センスがいいな」と思ったものに対して、
「なぜこれがいいのか」

ということを言語化する習慣をつけると同時に
自分の興味の強い世界の知識を
沢山集積させる努力をし、「センスのある人間」になりたいと思います。


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