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サービス付き高齢者住宅における本日の出来事~認知症Kさんの場合~


#怒ったことさえ忘れる
#急に怒りが爆発することもあるけれど原因は覚えていない
#楽しかったことも 、苦しかったことも、伴侶も忘れる
#それでも人恋しさや優しさに触れたくなる
#言葉はいらないから 、手を握っているだけで眠りに落ちる
#目覚めたときには何があったのかを覚えてはいない

認知症の人の感情失禁


認知的機能が低下することによって、数分前の出来事を忘れてしまって、泣きわめいていたのが嘘のように笑顔になったりすることがある。
ところが反対に、いちど感情失禁(自己コントロールを失った感情)が続き不安感情が心を占拠すると、その不安の高まりから身体的な症状として、手足の震えや、呼吸が速くなり、過換気症状の手足のしびれ、息が吸えない、死んでしまうのではないかといった死の恐怖感情にまで至り、自分自身で自分自身を悪化症状に陥れてしまうと言うことが生じる。

日曜日はKさんが不安になる日


Kさんの場合、毎週日曜日の午前中に不安感情に見舞われる。
最初は、『腰が痛い』と言って泣きべそになる。
その次には、痛いと言うことに集中するが、あまり、呼吸が速くなる。
呼吸が速くなるが故に、過換気になって手足がしびれてくる。
そうなると、今度自分は死んでしまうのではないかと言って救急車を呼んでほしいと言う。

先週の日曜日もその前の日曜日も、日曜日の勤務の度に、つまり1週間に一回、不安感情が爆発し、悲しみの中に落ちていくKさんを目の当たりにしている。
だが、本日は木曜日。

木曜日のKさんの感情失禁


4月からかかわっているKさんが、木曜日に、この感情に没入すると言う事はなかったのだが、何が要因となっているのかは計り知れない。
朝から顔がこわばり笑顔も失せて、腰が曲がったおばあさんのように歩いていた。

何人かのケアワーカーが、変わるがわるKさんのお話を聞きながらそばにいたのだが、一時感情失禁が収まり、不安感情を忘れても、また感情が爆発すると言うことを繰り返していた。

ケアワーカーがこのKさんの感情の変化のループに、頭を抱えて、私にSOSを出してきた。

Kさんの身体に触れてみると


①    今日の関東は、最高気温9℃。とても寒い1日で、不安で震えているKさんの手に触れると冷たかった。
そのうえ、腰が痛いと言っているKさん。今日の気温の低さによって体はより一層硬くなり、痛い腰に力が入り、痛みはますます強くなっていると予測された。

②    Kさんをベッドのあるお部屋に案内し、横になっていただきながら、ホットタオルを腰の部分と、お腹のところに当て、Kさんの冷たい左手はおなかのタオルの上においていただき、もう一方の右手は、私の手で包みながらお話をすることにした。

これまでも幾度となく、同じようにそばにいて、ホッとタオルで温めつつ、お話を聞いて、音楽を一緒に流す手法を取っている。

今日もお部屋に音楽を流せるように、CDを持って行き、Kさんの枕元から流していた。
恵さんは
『音楽もいいけど、ずっとそばにいて欲しい。』
『どこにも行かないで』
と言葉を発した。

最初、私の手を握って「あったかいね。あったかいね」と繰り返していた。
腰に当てたホットタオルもあったかくて気持ち良いと言っていたように、快適感情を口にしつつも、私が握ったKさんの右手はブルブルと震えていた。

語り続けるKさん


Kさんの口から語られるのは、子どもの頃のこと。
口をついて出るのは、
『私は8番目の1番どうしようもない子なの』
と言う自己評価であった。
Kさん曰く、自分は兄6人、姉1人の末っ子で、母親には特に甘やかされ、可愛がられてはいたものの、役立たずと言うふうに自分で自分のことを、評価している。

甘ったれで、泣き虫で、末っ子。
このフレーズは、よく耳にするものである。
だからといって、目の前のKさんが、今でも甘ったれて泣き虫で手のかかる子だと言うわけでは無いであろう。
感情が乱れたときのKさんは、不安で、不安で仕方がない。
末っ子で親に甘えたいと言うときの気持ちに戻っているような気がしてならない。
音楽ではなくて、あなたにそばにいて欲しい。どこにも行かないでねと言うKさんの言葉を裏切らないように、手をにぎりながら約1時間寄り添って過ごした。

日曜日に泣き出すKさんとの違いは、私がそばにいても寝入らないことだった。
ただひたすらに、子どもの時の家庭の様子を思い出しては、言葉を発していた。

繰り返し話す言葉は、
『私は8人兄姉の末っ子』
『傘家で、親は8人を育てるのは大変だったと思う。』
このフレーズばっかり繰り返すKさんの横で、私はそれにうなずいて、聞き役に徹していた。

夕食の時間になって、落ち着いたKさんは、
『トイレに行きたい』
と言ってベッドから出て、トイレまで歩きだし、トイレから出たKさんは何事もなかったように、食事の席に着いてご飯を食べていた。

1時間前に腰が痛くて、子どものように泣きじゃくっていた姿はどこにもなかった。
Kさん自身は、目の前の夕食を口に入れることに集中している。
もちろん、Kさん自身は、自分が泣き叫び過換気を起こしたなど覚えていない。

認知的機能が低下した個人=Kさん、その個人の尊厳を守るために、余計なことを言うわけではなく、ただそばにいて、手を握って暖かい環境を作ると言う事だけで、落ち着いていく。
人間対人間の言葉を必要としない、
『今ここにある』
つながりだと感じたのであった。

2023.2.2(木)
MILK


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