人は死ぬまで成長と発達を遂げる~人間に対する基本的姿勢~
#医療従事者の姿勢 #平等・公平・中立じゃなかったかしら ? #医療従事者の判断を家族に押し付けることがあっていいのか ? #人間の成長と発達概念が医療従事者によって齟齬があるのでしょう
【人間の成長発達の捉え方】
~医療従事者によって異なるのか~
ここのところ少し気になることがありました。
医療従事者から説明を受けた結果、家族が以下のような言葉を発していると耳にしました。
『今後、回復の見込みはないと言われました。』
『元のような、活動をする事は望まないほうがいいと言われました。』
『それは今回の骨折の説明だけではなく、以前の骨折の時も同じように言われました。』
『だから、何をやっても無駄なので、回復期のリハビリをする必要はないと思います。』
~医療従事者の判断を家族に押し付ける人がいる~
直接的に、医療従事者と家族の会話を、私は聞いたわけではない。
しかしながら、医療従事者の『平等、中立、公平』と言う基本的な姿勢が、家族の発する言葉から、私には感じられなかった。
医療従事者は、家族及び患者に選択可能な情報を提供しつつも、決定権は家族にあると言う姿勢を貫かなければ、
家族の判断基準は、
「医療従事者に言われたから」
ということ依頼に、判断基準は在しない。
理解可能な説明と、選択可能な治療について、医療従事者から説明がなされなかったと同時に、医療従事者の判断を家族に押し付けたといえるので、疎ましく思えた。
【私の父の転院の場合】
~十分な説明はなされなかったと感じている~
※医師とMSWの対応
私の場合は、父が脳梗塞で倒れSCUの治療が終わり、医師は私への説明で自宅に帰ることを勧めた。
メディカルソーシャルワーカーは、地域の回復期リハビリ病棟などの専門医療の情報を、私に提供することなく、家に戻るのか、あるいは他の施設に移るのかと言うことを、ただ尋ねた。
※私が何をここで申し述べたいかと言えば、医療従事者でもない家族に、必要な情報をわかりやすく伝えると言うことを全くしていないと言うことに、ただただ驚くと同時に、いまだこのような権威主義的な医療体制がまかり通っていることに驚くほかなかった。
父の担当医は、私が医療従事者であることすら知らない。であるから、説明に用いたCTのコピーを欲しいと言った私に、詳細な説明もなく断りの言葉を述べた。
★くそ野郎だ★
メディカルソーシャルワーカーは、私が医療従事者であると言うことを会話の中で知り、詳細な説明も追加することなく、回復期リハビリ病院を私にピックアップさせ、転院先の校章をするといった。
【病棟看護の評価と家族としてできること】
~リハビリテーションのパンフレット作成と指導を行う家族
現場の病棟看護師の姿勢がいかがなものかと言えば、私は病棟師長すら存じ上げませんでした。もちろん直接的に会ったこともないからです。
少なくとも、父の入院中、仕事の都合をつけ、週末には病室に見舞いに通っていました。どのようなリハビリをし、必要な自己管理を教わっているのかと言うことを見届けるのが、最大の視点です。
ところが全く父自身に対して、自己管理と言う意味でのリハビリのメニューが示されていませんでした。
父の望みは、少しでも自分の体を使って何かものを右手で手に取り取り、使うことができることを望んでいました。
上手に箸が持てないが故に、スプーンを使っていました。
指先の細かなつまむ動作ができないがゆえに、文字を書くと言うことが困難になっていました。
指先に力が入らないが故に、小さなものをつまみ上げることができず、ペットボトルなどを開けることができないことがありました。
こうした、不自由に当事者が思っていることがあっても、今はその機能が回復していないが故、自分自身できないと言うことを踏まえるならば、どのようなリハビリテーションをすることがこの先、当事者の望む動作が可能になると言うことを教えてもらわなければ、患者は決定的に医療従事者より無知な故、自己管理は不可能です。
私にとっては、娘として父の回復を願うからこそ、何ができるかと言うことを考えた末、
思い立ったのは、運動リハビリテーションのパンフレットを作ることでした。
そのパンフレットを作り、父にリハビリの説明を行い、運動の手法が正しく行えているか、眺めつつ、少しでも自己管理し回復を願い後押しすることしか、出来ませんでした。
【転院先の決定】
先ほど述べましたように、私は急性期の脳梗塞治療を終えた父を回復期リハビリテーション病院に転院させることを選択しました。
転院の日、初めて病棟の師長さんにお会いしました。
病棟師長さんが私と対面した際、口から以下のような言葉が出てきました。
「本当なら私たち看護師が、患者さんの回復を願い、自己管理と言う視点でのパンフレットを作らなければならなかったと思っています。」
「そこまでに至らなかったこと、本当に申し訳なく思います。」
これが急性期の医療と看護を提供する、現場の師長さんが実際に感じていることなのだと思うしかありません。
医療に従事する家族がいなかったら、患者にとってベストの指導は一体誰が責任を持って全うするのでしょうか。
そう思いつつも、現場の看護師の、余裕のなさは一体何から生じているのかと言うことを考えなくてはいけないと思った次第です。
看護の質と言い続けて、何十年も経過しているのに、どうして実現できないのでしょう。
介護の分野同様に、報酬の見直しは急務でしょう。
2022.4.21(木)
MILK
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