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在宅介護・看取りから見えたこと ~利用者に、言わせてはならない言葉~

#臨終の場所を決められるなら #畳の上にしますか #嚥下機能が低下したときの自己選択 #おむつ交換に手を抜かないでください

 

【在宅介護の始まり】

2017年4月8日土曜、私の父は在宅で息を引き取った。

 

「畳の上で死にたい。」を、貫いた。

そうはいっても、まだ在宅で最期を迎える人は、2019年 13.6%。


 

対する、社会的入院と言う言葉がある。

つまり本来であれば医療的介入の必要がない病期にあって、誰か身の回りのことをやってくれる人がおらず、日常生活の援助を支援してくれる人がいれば生活が成り立つ人を言っている。

 

【体力の消耗と嚥下機能の低下】

人は歳を重ね筋力が低下してくる。口の中に食塊を入れても、自分で食べたものを咀嚼し、飲み込むこともできなくなる。

このような時、食べられなくなった家族を見て、介護する人の辛さは、よくよくわかる気がする。家族の思いは、一日でも長く生きてほしいし、元気な姿を知っているが故、体力が消耗し、かつての親の姿から遠ざかっていくのを見るのは辛いと思う。

 

また当人も、どのような死を望むかを、家族と話しあい、会話する機会がないことには、元気な時に伝えておくこともできない。

 

体力を失い、言葉すら発することができなくなる前に、家族で話し合っておいてほしいと思っている。この話題から、目をそらさず、人間対人間の会話をしてほしい。

 

これまで看護の現場にいて、手術の選択をするにしても本人の意向と家族の意向が食い違うこのような場面は目にしたことがある。

本人は80代にあっても、がんの手術を望んだとしても、家族が経済的な側面から

「年老いた親が、手術する必要はない。」

自分の親に、手術費用を捻出することを拒む場面も見てきた。

 

私の父はと言えば、2016年3月、脳梗塞を患い入院をした。

右半身の麻痺が出現し、右手で字を書くことはできなくなった。呂律障害もわずかにあり、リハビリテーション目的で、急性期病院から転院した。

自ら歩く、自ら食べる。と言うことを、入院訓練によって、機能回復した。

 

この父の脳梗塞発症時、私の母は、

「別にリハビリなんかしなくたっていいんじゃない。もう先が短いんだから。」

と言っていた。

 

父は、「機能が回復するのであれば頑張りたい。」

と言う意思を持っていた。

 

このリハビリテーションセンターに入院している間に、父は嚥下機能の低下した人と、同室になり、ベッドに寝たままで、鼻から胃まで管を通し、自分の口からは食べられないが患者さんを目にした。1日3回、栄養剤を管から注入されている患者さんを見て、口から食べられなくとも、栄養を体内に吸収する方法があることも知っていた。

2017年4月の桜の開花は 遅かった

 

【最後の自己選択】

身の回りのことは何とかでき、5月に退院した父が、2017年3月、私に電話をかけてきた。

「歩けなくなっちゃったよ。多分もう長くないと思う。」

 

この時、父は、自分の体力に限界が来たことを悟ったと思う。

 

父の望む通り、親戚に声をかけ、在宅のベッドの周りに、妹が訪れたわいもない話をして帰った。

 

少しずつ体力が衰えていく父に私は聞いた。

「口から食べられなくなった時、自分で飲み込めなくても、鼻から管を入れ、または胃に穴を開けて栄養剤を注入する方法があるのは知っていると思う。

けど、自分でどれを選ぼうと思う。

やってもらう?」

 

父の口から出てきたのは、

「自分で食べられなくなってしまったら、もうそれはその時だと思う。」

「胃に穴を開けて、食べ物を入れてもらってまで、生きていようとは思わない。」

 

父からこの言葉を聞いて、私は在宅での看取りと言うことを選択し、ともすると周りの言葉に惑わされそうになる母に対しても、父が選択した方法だと言うことを、心に刻むように伝えた。

 

他人は言いたいことを言って、あんな方法もこんな方法もあって、やってあげないのかという言葉を使う。

 

人生の最後の選択。

自分の命を縮める手法を選択しなくてはいけない時もある。

人はいちど選択したことを、間違っていたかもしれないと、修正することもある。

今となって、父が選択を変えようと思ったかを知るすべもない。

 

もしかしたら、選択肢を変えてみたいと思っていたかもと考えても、は計り知れない。

桜の花が見たいといっていた父

 

【介護士さんに父がお願いした言葉】

決して多くを語る父ではなかったが、介護を受ける父が介護士にお願いした言葉を書き残しておきたい。

亡くなる2日位前のことです。

 

「今日は、お湯をたくさん使ってお尻を洗ってね」

 

この言葉を発した父の声を私は知らない。

母が聞いていた言葉だ。

 

毎日、おむつ交換は、介護士にお願いしていた。

 

なぜ、この言葉を父が発したのかは、考えれば想像がつく。

 

 

私の母は父のオムツ交換ができるほど、体力もないし技術も身に付けていなかった。

父の体力が消耗し、トイレまで歩けなくなり、訪問介護士の調整がつくまで、おむつ交換は私が行った。

 

お風呂に入った時誰もがシャワーを浴びて気持ち良いと思えるのは十分に体が温まり、汚れが落ちるように快適な洗い方をしてくれるからです。

おむつをお尻に当てていたときに気持ち悪いのはお小水が出る場所だけではない。自分で寝返りが打てなければ、出たお小水はお尻の方まで回って行きます。寝たままでいればベッドと接している臀部の湿度が高くなります。それ知っていれば、陰部洗浄する時、横に向けて臀部までお湯と石鹸をつかい皮膚のアンモニア成分と匂いを洗い落とし、水分を拭き取ってぬめりなど感じないようにきれいに仕上げ、おむつを交換する。

私はそう思っている。

泡立てたボディソープを洗い落とすには、「ちょろ、ちょろ」と水分を流すだけでは落ちません。

しかも十分に泡立てたボディソープだからこそ、界面活性作用で汚れが浮き立ってくるものです。

介護士や看護師は、その資格を持った以上、得た知識を対象者に生かすように実践をしなくて、それを専門職と呼べないでしょう。

 

【他者との向き合い方の回顧】

食事をすると言う最後の選択。

臨終を迎える場所を、自宅にするのか病院にするのか。

自分では生活がままならないとき、介護を依頼するが、求める介護士のケアに心があるか。対象者を唯一無二の存在と考え、今ここにいる対象者に最高の援助を提供しようと、時間を共有しているか。

ホスピタリティという言葉を念頭に、自分と他者の関係を見直してみることも自分を見つめることにつながりそうな気がしています。

 

オダマキ

父を在宅で看取ってそろそろ5年目の春を迎えることになります。

ちょっと振り返ってみて気になることを綴ってみました。

 2022年1月17日(月)
                                MILK

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