見出し画像

姥捨て山回避~組織で生き残るための手法~


#いじめる人の心にあるものは何か
#新人に教えずに育てないのは育てられないからだと思っていた
#考えてみると生き残る作戦だと思う

中途採用で入職した人が「退職する」と打ち明けてくれた。

組織の発展と教育

自分自身のこれまでの職場を考えると、先輩から多くのことを学んで今に至ると思っているし、
恩師は、
『自分と同じ苦労をさせていたら組織の発展もない』
と何度も言い、導くことを身をもって示してくれた。

先輩が受け継ぎ伝えれば、後輩は上書きと積み上げで目標到達点も、
遠く高く掲げ、世界的な研究も可能なはずである。

ところが、後輩に何も教えようとせず、優しいようで先輩が
『自分で好きなようにやってください』
と言い続けていたらどうなるのだろうか。
そもそも、後輩が先輩以上に優秀であれば、先輩を当てにすることもなく、自らの知識で試行錯誤を重ねながら歩みだすだろう。

教えないことにメリットがあるのか


では、なぜ後輩を育てようとしない人間が、組織にいるのかを考えて、思い当たることがあった。

かつて姥捨て山があった時代、その村落において、捨てられない高齢者がいた。
その集落の伝えを文字に残すこともなく、
まさに、長老と呼ばれる、生き字引だ。

自分の経験や知識を共同体の住人に訪ねれても、小出しにして、決してすべてを教えはしない。

つまり、村落になくてはならない人として君臨していれば、殺されることはない。

新人が入職しても、何も教えないことによって、組織の発展は望めない。だが、あの人(組織の古株)に聞かなければ、これまでの情報処理や金銭面での取り扱い、モノの請求や納品方法などわからないといったことが起こる。
つまりは、やめられては困る存在になれると思っていたり、思わせたりしている。

一件、頼りになるように思えていても、実は組織の中には、この手法
『姥捨て山に捨てられない手法』
をうまく使いっている人がいるのだと意味づけができると思った。

~まとめてみると~


人を育てるために、教えることは、自分自身がこれまでに得た知識や技術が減ってしまうと考える人がいるようだ。

まさに、現代にも姥捨山があって、保身のためには、人を育てずに自らの存在を守る人がこの世の中に入るのだと、ふと考えた。

チンケな知識に自分を縛り付けて、新しいものに挑戦しない人にありがちな情景がどこかにあったことを思い出してしまい、猿山の大将を想像した。

猿山の争いは、「キャンキャン」声を高らかに上げて、周囲の猿たちまで興奮させて、山全体の猿を争いの渦に巻き込み、無駄なエナジーを使わせてしまう。

吠えているエナジーを創造に働かせる人間性を失っているから、猿にしか見えない。
これまであまり目にしなかった人間の猿的な状況が、ある人の心を悲しみに陥れていると思うと、人間ほど「さもしい」生き物はいないと思うのだった。

2022.1.28(土)
MILK


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?