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桂の葉の香りと娘


千葉の公園の片隅に植えてある桂の木は、すでにハート形の葉が落葉し、地面に降り積もっている状態です。

千葉の桂

枯れ落ちた桂の葉からは、メープルシロップのような香りがする。と散歩中、会話した私の母より少し若いかと思う見かけは70代後半と思しき女性に伺い、地元の桂の木の落ち葉を一葉拾っては、その香りなすのかを鼻元に近づけ、「クンクン」と犬の様に匂いを嗅ぎ、10分の一の確率と分かるほどに、散歩と香りがする葉に当たることを楽しむ今日この頃を送っていた。

Google先生に、
「日本の桂の名所」
と入力し、どうやら千葉からも簡単にいくことができる場所に、植えられているのを知った。

銀座通りにあるらしい。

銀座の桂_2684

何度となく、出かけたことのある場所に、桂の木があったとは、調べてみるまで気にも留めずに、銀座通りを歩いていた自分に気が付いた。

都内にミュージカルを鑑賞しに出かける予定があったので、銀座に足を運ぶことにした。
1人ではなく娘と一緒だった。

銀座1丁目から6丁目までの銀座通りには確かに桂の木が植えられていた。
千葉の桂の木とは全く違い、まだまだ銀座の桂の木は青い葉っぱをたくさんつけた状態だった。いくらかの木には少し枯れてきた葉っぱが付いていて、その幹の根本には数枚の葉が落ちていた。
千葉の公園の桂の木周辺と銀座の違いは、落ちた葉っぱの数が少ないと言うこと。銀座通りの植え込みは、毎日どなたかが落ち葉を拾い、掃除をしているということを表している。

私は銀座通りの桂の木の根元に落ちた葉っぱを手に取り、葉の香りを楽しもうとしていた。私が根本にしゃがもうとするや否や、娘が言った。

「まさか落ちた葉っぱを拾って匂いをかいだりしないでしょうね」

私のことをあきれ顔で見据え、娘は言い放った。

この、娘に投げかけられた言葉を受け止めた私の心は、何を思っていたかと言えば、

「銀座の桂の木は、こんなにまだ葉をつけていて、落ち葉も地面に落ちてからほぼ一日であろうと思い、新しい葉ほど甘い香りが強くするだろう」
と、考えていた。

葉を拾い、自分の嗅覚で
「いい香りがすると感じてみたい」
ただその一心だった。

私の心の中の思いと、娘が私に言い放った言葉の違い。

正直、ここは娘の言葉から求められるように、ふるまうのもありかと思った。


しかし、人前で、恥ずかしいから葉っぱを拾って、においをかいだりしないで。
そんな、恥ずかしいこと、やめて。
そう思う娘に対して、
「やらないで」
とか
「見られているからやめて」
娘の感情を私におしつけて、私の行動を抑制する娘の行動様式に私を従わせようとする言葉に、他者の自由を許容する考えが低く、自分の考えに従属させようとする姿に、娘はいつから楽しむことを許さない人間になったのかと寂しく思った。

私の行動を人に見られたら嫌だとか、そう言う娘の言葉とそれを口にしてしまう心の狭さに対し、娘自身が気づかずに興味関心を押さえつけてしまっているのだと分析した。
つまり、そうなってしまった心のありようが自分を縛り付けていると気づいていない。
問題だと思った。

私は、娘の言葉など意に介さぬふりをして、おもむろに桂の木の根元にしゃがみ込み、何枚もの葉っぱを鼻元に充てては、いい匂いがするかを確かめ、そのしぐさを繰り返していた。

残念なことに、葉を10枚ほど花に寄せても、なかなかメープルシロップのような甘い香りを放つ葉っぱに巡り会えなかった。
娘は、私から2メートル位は距離を置いて、私を眺めていた。
さも、変なことをしている母親を、自分の知り合いではなく、葉っぱを鼻にもっていく事を繰り返す変なおばさんを當摩貴に見ている赤の他人を装っていた。


私が葉っぱ拾いと、香りの嗅ぎ分け(効きわけ)に集中し、甘く香りを放つ葉を1枚見つけた。
「ああ。この葉っぱ、本当にメープルシロップみたいな匂いがする」
「いい香り~~」
心からこの葉っぱに出会えたことを喜び、声を出さずにはいられなかった。
まあ、娘に聞こえるように声を出したのは確か。

娘は私のもとに駆け寄ってきて、目を輝かせ、私の手からいい香りを放つ桂の葉っぱを受け取り、
自分の鼻元に当てた。

「うん。本当に甘い香りがする~。」

ねぇ娘よ、あなただって本当はどんな香りがするのか関心があったんでしょう。
それなのに、周りの人が見てるかもとか、本当の自分の感情に蓋をして恥ずかしいと自らに言い聞かせ、私とは他人のふりを装ってたんじゃないの。

あなたの態度を見て、私は口には出さなかったけれど、
他人様がそれほど、自分以外の人のことをそんなにじっくり観察してなんかいないし、あの銀座通りで私がしゃがんで、桂の葉っぱを鼻元に持っていくのを繰り返してるのを見て、今日も記憶に残ってるのは、きっと娘のあなただけじゃないかな。

私が
「いい香り~」
って言ったのを、実は他人様でも耳にしていたほうが、幸せなんじゃないの。

なぜならあの銀座通りにいた多くの人は、あの桂の木の葉が、ハート形をしていることにも関心がない。それは、これまで子どものころから現在に至る何十回も銀座に行ったことがある私と同じ。目に入っていても、観察はしていない。

桂の葉の甘い香りを、何の香りに近いかなど知る由もない。

もしかしたら知識としてはあるかもしれないけど、あの並木に桂の葉っぱが落ちていることを知らない。
桂の木が植えてあることも知らず、冬は桂の木に巻き付けたイルミネーションを眺めている。
大事なのは自分で体験するってことじゃないかな。

時に書物からの知識をたくさん頭に詰め込んでいる人がおり、それはそれで素晴らしいと思う。こういう人って、知識を一生懸命語って、知識のシャワーを放射してくれるんだけれど、私は語り手に聞きたくなるの。

「あなたはその知識を、どんな体験と結びつけて、リアルに語ってくれるのか」

その知識、どのような体験の裏付けがあるの。

その体験をしたときの感動を言葉にしてほしいし、それを伝えてほしい。

私は、そうした経験値を語ってもらいたい。

テレビで桂の葉がいい香りがするって聞いた時、
「桂の葉は、いい香りがする」
と言う、知識が頭に植えつけられるかもしれない。

けれど、「あなたはその知識を得たとき何を思ったの。」
私はそういう言葉を投げかけ、語り手を刺激したい。
体験すると言う行動を示してくれた人の方が、知識だけで語る人に比べ、私を刺激してくれる人だといつも感じる。

どうか様々な体験のその時の状況、感じたことを体から湧き出た喜びとか、その時の気持ちを自分の言葉で語ってくれる。そんな人になってほしい。

ねぇねぇ娘ちゃん。

2021年11月29日(月)

                            MILK

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