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サービス付き高齢者住宅~終末期のAさんと認知症の家族~


#認知症の場合は終末期の夫と過ごしてはいけないの
#不安感情の表出は避けるべきなのか
#悲しい時は泣く 、嬉しい時は笑う
#喜ばしい感情表出は歓迎されても 、泣くことは許されないのか
#もしも自分が認知症になったときに 、終末期の家族と会う機会を奪われてなるものか

高齢者住宅にはご夫婦で入居していることもあります。
今回は、御主人Aさんが終末期、妻が認知症のケースです。

同居する認知症の妻


皆さんに質問です。
もしも家族の高齢者が看取りの段階に入った時、その妻が認知症だったと考えてください。
現実の状況を受け止める力は弱いかもしれません。しかし、喜びや悲しみの感情の表出は必ず人にはあります。
認知症であっても、目の前に生命の灯が消えゆく家族を目にしたときに、妻の心は何かを感じ取ると思いませんか。
それが悲しみであったり、夫が寝てばかりで言葉を発しないことであったり、
いつもと違うなと考えてみたり、食べ物を口にしないことであったり、
寝ている形相からも、認知症の妻なりに考えを巡らせているのではないでしょうか。

その違いを感じ取ると、不安感情が表出されて、
泣いたり
落ち着かなくて、うろうろしたり
することを、皆さんも予測すると思います。

認知症に限らすあなたもわたしも悲しみがある
なぜならば、私もあなたも、大切な人の変化には敏感ですから、その人が亡くなるような形相をしていたら、受け入れがたい悲しい気持ちが沸き起こるから他者の反応も想像するのでしょう。
大切な人の終末を想像しただけで、涙があふれたりしませんか。

だからこそ、認知症になったとしても、感情が乱れるであろうと考えるのだと思います。

この不安な気持ちを、泣く、落ち着かなくウロウロしてみるなどの行動で表出すこと、感情表出は、いけないものなのでしょうか。認知症の人には許されないのでしょうか。
回避するものなのでしょうか。
表出させないようにするものなのでしょうか。

機会を奪う発言と真意


高齢者施設のケアワーカーの口から、
『(終末期のご主人に、認知症の妻が)あったら不安になるから合わせないほうがいいのではないか』
と言う発言を耳にしました。
起こり得ることから避けて、不安の表出をさせない事は、良いことだと思って、言葉を発しているように感じます。

その発言の真の意味は、
『不安になってしまうと、そばにいて落ち着くまで時間がかかる』
『乱れた感情表出が忙しい時に起こると対応しきれない。』
などを意味しているのではないかと感じました。

嬉しい感情を表出することに対しては、寛容であると思うのですが、悲しみの感情表出と言うことに対して避けたいと言う気持ちが、何故か同じ人間同士の感情を抑えさせる方向に働いているような気がしてなりません。

言わないほうがいいのではないか。
不安にさせないほうがいいのではないか
合わせないほうがいいのではないか

自覚のない優位感情と優位性


認知症の人だからと言って、勝手に周りが、行動を抑えようとするようにしていないでしょうか。
認知的機能が低下していない人が、終末期のAさんの妻であったら、消して勝手に合わせないようにすると言うような状況設定はしないと思います。

認知機能の低下が
「ある」。
「ない」。
の区別で、同じ高齢者であっても、機会を失わせていることが起こっているとしたら、ケアをするものの、対象者との優位性が見えてしまいます。

だが、「合わせない方がいいかも」と、
発言するケアワーカーには、自分が優位な立場に立った発言をしているとは思っていないでしょう。
善意と思っているかもしれません。

機会を剥奪すると言う事は、同じ人間が人間を差別する行為であって、許されることではないと思います。

善意と無自覚の差別


尊厳は、私にもあなたにも、尊厳があると言うことです。
自由と言う言葉も、あなたの自由と私の自由があると言うことです。
自分の自由を押し通すのに、他者の自由は許さないという行動は、自由の平等にはなりません。
介護の現場における、過剰な「管理」が見てとれることが多く、本質的な人間と人間の平等や尊厳を守る意識改革は急務だと思う今日この頃です。

2023.2.7(火)
MILK


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