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サービス付き高齢者住宅~医療施設から退院後の期待と現実~


#脱水回復の点滴
#経口摂取を補う点滴
#環境が変われば食べられるのか
#口の中に入れたものは飲み込まずに吐き出す

医療施設退院後


食欲が低下し、自分で食べることも飲むことも拒否するようになった高齢者が、医療施設に入って点滴をした。点滴によって、一時的に、体の中に水分が入った。水分だけではなく、栄養分が入った。栄養分は、ブドウ糖。
ただし、医療施設に入院して、点滴治療を受ける認知機能の低下した高齢者(80代のAさん)には、何のために点滴をやるのかさえ理解できない。Aさんは、自分の体に針を刺され点滴療法を受けながらも、その針を何度も抜く。針を抜くから、また痛みを伴う点滴の針を刺す処置を繰り返し受ける。医療従事者が刺し、Aさんが針を抜くことを繰り返した末に、点滴を抜かないように針を抜こうとするAさんは、抜こうとする手を縛られたり、体をベッドに固定されたりしていた。
こうやって苦しい点滴治療に耐えて、体に水が入り脱水を示したデータも改善し、
『環境が変われば、自分で食べるかもしれない』
と医師の勧めがあり、家族は高齢者施設に戻ることを選択した。

眠り続け食べないAさん


医療施設から戻り三日間経過した。
まず、血圧が低く、起き上がるとより血圧が低下し、ベッド上にいない限り、循環動態は保てない。
退院処方は、血圧が下がっているにもかかわらず、降圧剤が入っている。安定剤も含まれ、活動量を下げるような内服薬も含まれた。
退院翌日に往診医に相談をし、不必要な内服薬を全てカットしてもらった。
Aさんの食欲は・・・、と言えば、
口の中に何かを入れれば苦虫を潰したような顔をして、口の中で「くちゃ、くちゃ」音を立てこね回し、その後「ぺっ」と吐き出す。
退院をして、高齢者施設に戻ることで、食欲が改善するかもしれないことを期待していた家族に現実を伝えなければならない業務が私に回ってきた。
家族にとっては、今の状態が続いている事は期待に反することだと思う。
ただしその期待に反する事態が起こっていると言うことを、早急に伝えなければこの高齢者の体に起きている現実を受け止める機会が、ただただずれ込むだけだ。

延命処置について


点滴をする。
食べられない人が点滴をする。
これは水が飲めないから水を入れる。
食事が食べられないからブドウ糖の栄養を入れる。
つまり延命としての治療をしていると言うことに他ならない。
50年前であったら、自分の口から食べられなかったら、木が水を失っていくかのように、ある日「ポキッ」と折れるように臨終を迎える。
人も植物も終末は同様だ。

終末を、何時、迎えるのかと言う事は、誰にも想像はできない。
血管に点滴の針を刺して、水分を入れたり、栄養剤(ブドウ糖)を入れたり、する行為を、別のたとえで描くならば以下の用にも言える。

開けたくない口を開けられて、無理矢理口の中に水を入れ、ご飯を入れて飲み込めと言うような行為ともたとえられる。
それが何を隠そう、口からは食べられない飲み込めない人に対して、鼻から管を入れたり、胃に穴を開けたりして栄養剤を直接入れると言う処置と結果的には同じ行為をしている気がしてならない。

食べられない現実をお話ししたときのご家族の顔は、期待を裏切られ、途方に暮れた顔をしていた。
医療施設を退院するときに、
『もしかしたら食事が進まないかもしれない。』
『その時はまた点滴をするといったことも、考えなければならない。』
医師は言っていたという。
だが、期待値は食べられることに、重きを置いていた。

家族に対し、人が歳を重ね年老いたとき、食べられないと言う現実は、何を意味しているのかを、分かりやすく医療従事者から説明をされず、期待感だけを高め、点滴処置を選択したのだと思う。

近日中に、ご家族には、往診医から老いからの身体機能低下による、食べられない。飲めない。消化できない。血圧が保てない。お小水が出ない。呼吸ができない。心臓が働かない。と言うような、身体機能がすべて低下していく過程にあることを、かみ砕いて説明を受けることになると思う。

今表れている症状そのものが、老衰なのだということを。

その時に、今後も延命処置を希望するのか。
延命処置をせずに食べられないことから、緩やかに枯れていくことを受け止められるか。
選択を迫られることになる。

死生観からは逃げられない


親世代の老いと老衰が迫ってから、延命についての知識を突き付けられ、選択を迫られる、子供世代や親権者などの家族の心情を思うと、生死に関する教育の機会の乏しさを思わざるにいられない。
親の老後だけではなく、ときには自分の兄弟、子供と言うように、何らかの形で延命と言うことについて考える機会が必要なのではないかと思っている。私たちは生きているときに、その生命の終わりがいつくるのかを知る由もない。というよりも、考えることから逃げようとしている。
自分のことであれば、それはなすがままで、野垂れ死にでいいと言い放つこともできようが、自分が他者の延命処置の選択を迫られると言うことを考えるのであれば、もっと早い時期から、より良い生き方やより良い健康維持や、より良い終末のあり方など考えておく必要があるような気がする。

お金の話もさることながら、移植の話であったり、骨髄バンク、アイバンクの話であったりと、日本の教育の中には、早くからそれぞれの人が知っておいて、自分なりに噛み砕いておかなくてはいけないような事象がたくさんあるのではないだろうか。


2023.2.5(日)
MILK

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