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実家の母に会いに~生きてるときに楽しもう~


#椅子に座ってうたたね
#ひじ掛けがないから床に転ぶ
#早めに対策しないとリスクは高まるのみ

2022年の年末に肋骨骨折と左肩打撲

1月17日
私が1年前に骨折した足から、スクリューとプレートを抜去する手術をすることを伝えた際に、母からの告白ラインメッセージが入った。

『言いたくなかったけど、12月20日に転寝をして、椅子からおちて、ろっ骨が折れ肩を痛め、(年明けの)おめでとうは言えずにごめんね』

私の方は、年末年始、コロナ感染症が猛威をふるい、職場でクラスターが発生し、人員不足、連日勤務で実家には顔も出さずに、新年のあいさつもラインで済ませた。
例年ならば、1月2日は、実家で顔合わせと食事をするのだが、今年は、リアルタイムで対面は中止にした。それも、コロナ感染症に母が罹患した際の身体に及ぼす影響は、計り知れないので、後日に会おうと決めていた。

母の大好きな摘みたてイチゴ


実家に行くのは、久しぶり。
母の大好きなイチゴを農家の直売所で購入し、高速を走らせて向かった。
イチゴを渡すと、即一粒口にほおばり、
『おいしい~』
『このイチゴを食べると、スーパーのイチゴは食べられない』
『甘さが違う』
嬉しさを伝える様子に、満足する私。
人の喜ぶ顔と笑顔は、一番幸せを感じるものだ~。
イチゴのケースを持てる両手、歩いても痛がる様子もなければ、歩行も安定している。
後ろ姿や、しぐさを見て、年末の転倒も今は傷が癒えていると確認できた。

命が終わったときの話


マイナポイントの手続きからの、母からは自分が死んだときの話が始まった。
死んだときのお葬式や、お墓についての希望。
樹木葬がいいと言っていた。
これが現実で、死んでからの心配をして生きている高齢者の母。
私とは全く、思考が違う。
『死んでからのあれこれは、一切心配いらない』
全て、思い通りにやるからと私は言い切った。
人は、生を受けたからには、その瞬間から死へと向かっている。その日がいつ来るかを、知る由もない。しかし、年を重ねると、その日が近くなってきたと感じているようだ。が、死という日がいつ来るかわからないから、今という一瞬一瞬を、大切に生きるのだと私は思っている。

生きている今を、もっと楽しんで好きなことをしてほしいと思う。それが、母に対する正直な私の思いと願い。

母の手にある樹木葬のチラシは、自分の家から遠いところを示していた。
場所が、どこでもいいわけではない。
そこに、足を運び、花を手向ける家族の足が、遠のく距離感では、そこに母が入る意味はないだろう。
もっと、近いところで、探しておくことを約束した。

転倒しない椅子の選択が急務


 病気をしないような健康管理や、同じ失敗をしない環境調整が急務だと思っての、実家訪問だった。
相変わらず転倒した、ひじ掛けのない椅子に座ってテレビを観ている母。
買い換えないでいる理由を聞くと、
『座面の高いのは足がつかないから疲れる』
という。つまり、使いなれたものを変えようとしないで、そのまま使い続け、また同じことが起こるかもしれない危険なものを使い続けるという、学習しない高齢者を目の前に見つつ、即刻座面の高さを測定してみた。
42㎝
肘付きのダイニング用の椅子をネットで注文。
本日の目的を達成した。

これが我が家の高齢者の現実。88歳。
ラインは使えるが、失敗した場合の問題解決思考はない。
『年寄りには無理よ』
口から出るのは、そもそも自分は年を取ったから、新しいことについていかれないという言葉。
これまでの生き方が、そうさせている。今更、学習するように教育する対象ではないので、補うことで、天寿全うしていただこう。

2023.2.8(水)
MILK


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