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骨折物語 22 一年後の手術当日〜プレートとスクリューを抜去〜

#足関節三果骨折整復固定後1年  
#プレート &スクリュ―抜去当日
#腰椎麻酔が切れると痛みは確かにあった
#病室に戻って麻酔が切れるまでは 、余裕だったが

手術予定時間が確定していないケース


 15時手術室入室予定だが、数件の手術があり、私の前に行っている手術の進捗によって左右される。
前回の場合で言えば、同じく15:00の予定が、17:00入室であった。
今回は、骨折部位が再生した後のスクリューとプレート抜去の手術。
点滴を左の腕に入れたまま、点滴スタンドを転がしながら、歩いて手術室に向かいました。

家族からの病院到着のライン連絡なし


 14:00には、病棟のディルームに来ているはずの旦那さんからは、14:40になっても連絡なし。私から、手術室に入る時間をLINEに連絡したのに、既読にならず。
手術室に向かい歩いた先には、旦那さんが椅子に座っている様子が見える。
到着していても連絡するような、気の利いた人間ではない。
そのことを、忘れていたと思い出した。

このよう情報の一方通行に対しても、怒りの感情は湧いてくることなく、手術を受ける私のために、家族としての役割を与えられ、真っ当に遂行するために来てくれたのだと思うと、ありがとうと思った。

手術室までの移動 


 
そんな感じだから、手術室の前まで、一緒に歩いて、エレベーターに乗って行くが、特に話すこともなく。
旦那さんには、病棟の看護師から、
『手術室の入り口で、ポケベルをもらってください。』
『手術が終わると呼び出し音が鳴ります。』
『手術室の入り口まで戻るようにしてください。』
と立て板に水のごとくつらつらと話し看護師。
面食らって、よくわからないような表情をしていた旦那さん。
手術室に入る私が、『手術室の受付に言って聞いて〜』と、咄嗟に声をかけ、私は、看護師と一緒に手術室の中へと入った。
リアルに手術を受ける場合は、結構時間に追われて、家族と話をする余裕などない。

手術室の中での様子


 手術室に入り、手術台には自分で足台を使ってよこのなる。手術室看護師の挨拶とともに、腰椎麻酔の準備で、腰から上半身があらわになる。
局所麻酔の注射後には、腰椎麻酔の針が刺され、薬剤が注入されていく。
少しずつ、腰から麻酔薬を注入すると、足の感覚が薄れて痛みも、感じることなく足を動かそうにも、全く脳の指令は届かず。
この処置を終えて、医師は手術前の趣旨の手洗いに一旦向かうため、手術室から手洗いの場所へと移動する。

消毒中の自分の足の感覚


 
消毒を開始すると医師から説明され、自分の足が前方に持ち上げられた場面は、不思議な感覚だった。確かに見たことのある、親指。私の左足そのもの。
だけれども、感覚が一切なく、それでも血色も良く、生きている体の一部だとわかる。


 

体に装着されるもの


 左手の人差し指に酸素飽和度を測定する機器が付けられ、胸には、心電図モニターの電極3個、右腕には、自動血圧計。
太ももには、タニケット。手術中の出血を防ぐために圧力をかけて巻き付けられている。血圧測定の大判みたいなもの。
足の付け根には、電気メスの対極版が貼り付けられている。大きさは、ホッカイロと一緒。
手術開始前には、膀胱に尿を測定できるように、膀胱留置カテーテルが挿入されて、体外のバッグに流れ出している。
私の心音は、落ち着いたリズムを刻んでいる。心電図モニターの発する。心拍音のリズムで自分自身の緊張度を評価できる。


 

手術開始は術式と予定時間を告げ、手術時間のカウント開始


 
手術開始後のハンマーとミノを使っているような
『トントントン』と骨に埋もれたスクリューの頭を探す振動が、横たわっていても体全体に響き渡る。
痛みは、ない。

手術開始後、室内のヒーリング音楽が宇多田ヒカルだと分かった。耳をすまさなければ、聞き取れないわずかな音量。
特に、手術室のスタッフの医師も看護師も、無駄な会話は一切ない。
私が肩や、頭、腕を動かすと、看護師が
『気分が悪い?』
『痛いですか?』
かなど声をかけてくる。

入室時間(14:45)から退室時間(16:30)無事終了


 スクリューとプレート抜去手術は、順調に終わった。
途中に気分不快もなく、体内に入っていた異物はすべて取り除かれた。
手術中、身体に装着していたものを取り外し、病室に戻る。
腰から下は、痛みも、触覚もないが、自分の手で足に触れれば温かいし、血行があることはわかる。麻酔って誰が発見したのだろうと頭をよぎった。
しかし、スマホが手に届くところになかったので、検索はできず、病室の天井を眺めて時間経過を待ち、麻酔の切れていく過程を自分なりに観察していた。
 

プレート&スクリュ―11本
抜去後の空洞が鮮明なレントゲン


体内に入っていたものを並べてみました

病室に戻ってからの水分摂取と腹部症状

 
 19:00夕食を食べてもいいと看護師に言われるが、腹部の右側が硬く感じて、まだ何か口にしても大丈夫と言う気持ちになれない。麻酔後の、腸の動き完全回復しているとは思えず、申し訳ないが、
『食べない』と伝える。
水分は、二口飲み込んでも吐き気もなく、喉の渇きと口の渇きが回復するのを感じる。
水分補給と共に、痛み止めの内服を開始。
まだ、なんとか麻酔が切れていないうちに、予防的に内服を開始する。

呑気にこの文章を書き留めたり、旅行に行きたいなど、スマホを手に取り、時間をつぶす余裕があったが、こののち徐々に麻酔は切れて、来る。

スマホで、旅行に行きたい地域の検索と金額をチェックしていた。
北海道、九州、沖縄、石垣島、奄美大島。
今なら旅行支援で交通費と宿泊費が安くなる。のんきなのでネットで、検索三昧をしていた。

佐賀県 波戸岬 

 

手術後3時間半後の痛み出現(20:00)


 
そんなことをしていたら、20:00左足首がジンジンと、脈を打つように痛くなって来た。
麻酔は、すごいなぁ。
全く痛みを感じさせず、手術を終えて、病室に戻って、旅行計画を立てる余裕を与えてくれていたが、じわじわとその効果が切れてくる。そうはいってもまだ痛みを我慢できる余裕があった。


2100
左足、動かして向きを変えてみようが、心拍と同時に、
『ドクドク』と脈を打つような、痛みが始まった。
内くるぶし、
外くるぶし、どこに足をもっていっても痛い。
痛みをこらえるあまり、
『グッ』と下っ腹に力が入ってしまい、体が固まっていく。
前回の手術で、静脈点滴での痛み止めが効果がなかった私には、坐薬を選択して看護師にお願いした。
お願い、少し痛みから解放させてください

2130
この30分は、1時間に感じた。座薬が届き、肛門に挿入
医師の疼痛時処方に、坐薬の指示がなく時間を要したと、
看護師より状況説明あり。
とにかく、『痛みよおさまれ』と、自分の身体に説き伏せるように心から声をかける。

2200
抗生剤の点滴時間
左足の置き場が安定せずに、寝返りを打ってみては、右足に左足を重ねてみる。少しでも足を持ち上げて、柔らかな部分で、左足を支えられる位置を探る。
看護師さんに
『左足の置き場に、困ってます』
と、伝える。
足枕を持って来てくれると共に、冷罨法を左右の傷の位置にあててくれる。
しかし、右向きになって足を重ねているのか、自分には、安定する位置だと感じる。
0時までは、痛みと足の置き場に困り果て、ベッドの中で左足を抱えたり、右足に重ねたり、布団の上にのせてみたり、ジッとしていられなかった。
座薬で痛みの閾値が上がり、うとうと眠りに落ちる。
当日夜の記憶を時系列で書き留めてみました。
                         2022.1.17(火)
                         MILK


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