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コミュニケーションにおける情報伝達

~ツールと情報解釈~

#コミュニケーションツールとしての言葉や行動 #コミュニケーションは相手の受け止め方次第 #状況が変われば解釈も変わる #ケアワーカーの皆さんや看護師さん #情報の乖離が相互不信

【ある患者さんの夜間の便失禁】
~羞恥心と解釈する場合~

羞恥心と解釈する場合

Bさんはパーキンソン病と診断されている70歳代の女性です.

ある晩、夜勤のケアワーカーが巡視で訪室すると、Bさんのお部屋が便臭に満ちていました。ケアワーカーは、お部屋のベッドに横たわるBさんに声をかけ、ベットの寝具や寝衣、おむつの交換をしました。

この夜の出来事を、ケアワーカーのAさんは、翌日の申し送りで、

「Bさんは、自分自身が排便をしていることに気づかず、ケアワーカに起こされて、深夜に更衣やおむつの交換、そして寝具の交換をした」と状況を伝えました。


状況は今まで記載した内容ですが、心情はいかがなものかというと以下の用に伝えられました。(図1参照)

「深夜の便失禁で、ケアワーカーに寝衣の交換のほか、大変迷惑をかけたといった思いで、気分が落ち込んでいる。」と申し送りました。

この申し送りの文脈の中にあるのは、Bさんは人に迷惑をかけてしまったと言う羞恥心のただなかにあり、失敗してしまったと言うことが恥ずかしくて、気分が落ちている。表情も曇っていると伝達がなされ、受け手も「失敗したことで、他者に気遣っている状態なのだと思いました。

図1



【日中のBさんとCケアワーカーのコミュニケーションと解釈】

~ケアワーカーへの気遣いなのか?~


日中、Cケアワーカーが、Bさんのお部屋を訪問し、図2のような会話がなされました。

図2


Cケアワーカー:

①昨夜はお腹の調子が悪くて大変でしたね


Bさん

②お通じの後始末をお願いしちゃってね

③娘にもお世話になったことがないのに気づかなくて


Cケアワーカー

④Bさんは排便に気づかず、訪室したAワーカーが更衣や寝具の交換を手伝ったんですか。

Bさん:

⑤今までお通じを失敗したことがなかった。昨夜の便に気づかなかったのは、パーキンソンの症状の進行かと思うと…。


Cケアワーカー:

⑥夜間、病状の進行かと心配して睡眠も十分に取れなかったのではないですか。


Bさん:

⑦(うなずき)これからもっと、自分の体が思うように動かなくなると思うと…。(涙が頬を伝ってポロポロと落ちる。涙が鼻に抜け鼻声と鼻汁も出てくる。)


先程記載したように、深夜のAケアワーカーの分析解釈によれば、Bさんは羞恥心に打ちひしがれて意気消沈していると言う意味内容として伝達されていた。


しかしCケアワーカーとBさんのコミニケーションの内容からすると、パーキンソン病のBさんは、便失禁による落ち込みと言うこともあるだろうが、便失禁にも気づかず神経の伝達がなされない感覚の鈍麻が症状として現れ、自分自身の病状が悪化していくのであろう未来を想像していたのでしょう。自分自身の体が、自らの意思で運動神経を使って制御することが不可能となり、動かそうと思っても動かなくなると言うことに対する不安。それが気分を低迷させ、気持ちが落ち込んでいるとAケアワーカーには映っていたのであろうと状況をイメージすることができました。


【コミュニケーションと言う不可思議なもの】

~あくまでも受け手の解釈次第~

受け手の技量に左右させるということは、間違いないのがコミュニケーションによる情報の伝達と解釈でしょう。

送り手の技量の拙くとも、受け手の技量が優秀、有能であれば、情報は伝わるものでしょう。たとえるなら、幼い子供の言語や表現は拙くとも、親なるものはその情報を確かに受け止めることができ、行動します。


赤子が鳴けば、排泄なのか空腹なのか、とこかかゆいのか痛いのかと思いを巡らせ、かゆいところに手が届く対応をします。


であるからこそ、受け手があれやこれやと考え、本当に自分が受け止め解釈した内容が合っているのか。あるいはもっと違う意味内容を伝えようとしているのではないかと、ツールを使い相手が伝えようとしている情報を突き止めようとすることで、齟齬の無いコミニケーションが可能となります。

このようなあれやこれやの手法を考え人とコミュニケーションを取るか取らないかと言うことが、AさんとBさんと言う、相互の関係において、情報が正確に正しく伝わるかと言うことを意味しています。


言葉を発することができる者同士においては、言葉に頼りがちになります。ある時は、「はい」と言ったから、受け手は理解したんだと、情報の送り手が受け止め止めてしまうことが生じます。

だが人それぞれ物の理解や、経験値が違うように、言語的に情報を伝えたからといって正確に受け手に伝わっているとは限らないことは、家族間や友人、あるいは職場でも経験しているのではないでしょうか。


常に、コミュニケーションにおいては、相手が同じ言語を用いていても、情報を正しく受け止めているのかを、確認する必要性があります。

少し頭を柔らかくしてみると、言葉を発することができない新生児や乳児の場合は相手の身体や感情表出(泣く・笑う・声を甲高く発する、手足を動かすなど)から、受けては情報を受け取り、コミュニケーションを取ろうとしている。

乳児から、少し言葉が発する幼児と母親のコミュニケーションであれば、言語的な道具を使い、何度も何度も繰り返し確認しあい、母親は幼児に、幼児は母親に情報が伝わっているかを確かめています。幼児にとって、母親に情報が伝わらないと、大声で泣きだしてしまうなど、少なからず一度とは言わず体験したことがあるでしょう。

ところが、いざ大人と大人のコミュニケーションとなったとき、はコミニケーションにおける、情報の伝達の道具を駆使することや、解釈を確認しあうことが、おろそかになり、」分かった気になってお互いに追求することも、その時間を割くことも行動として考えないがゆえに、お互いが

「情報は伝わっている。」

「わかった気になっている。」

そんな状況が多々あり、患者対ケアワーカーとの情報すれ違いから、感情のすれ違いに発展してしまっているケースが、多くあるように感じています。


AケアワーカーとBさん。

CケアワーカーとBさん。

例に挙げた状況を心に留め、人間対人間のコミュニケーションを重ねていきたいものです。
                           2022.4.20(水)
                               MILK

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