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きたるべき自分の未来~老衰を考える~

#自分の終焉を決めよう
#スパゲッティ
#枯れ枝がおれるように
#生き抜くことを考えよう
#自己決定権を行使する

80歳代後半Aさん


何を食べているのかもわからない


2ヶ月ほど前から、食事の席についても、じっと座ったままお膳に目をやっては、周りの人の動きを眺めてから、おかずに手をつけて食べ始める状態だった。
その食べ始めるまでの時間も、すでに食事を終える人がちらほらと出始めるころに、箸を持ち、おかずを口に運ぶ。
口におかずを入れてから、首をかしげて、不思議そうにしている。
また一口、口に入れると、首をかしげて、何かを考えてるような表情をする
どんな味がする?
そのおかずは魚?お肉?
野菜の味付けは?
口に入れたものに対して、何らかの質問を投げかけても、返ってくる言葉は、
『なんだかわかんないなぁ。』
『これ食べてもいいの』
そのような返答が返ってくる繰り返しだった。

食欲より睡眠欲求


12月にコロナ感染者が出現し、食堂で一斉に食事をとる体制を切り替え、感染対策として居室での食事摂取となった。

居室での食事は、Aさんの奥さんが目の前に座っている。向かい合わせて、食卓に座っていた。
食事をするより、ベッドに横になっていたいAさん。
ケアワーカーが、食事の配膳を食卓に準備して、Aさんをベッドから起こす。
声をかけると、ベッドから這い出して、食事の椅子に座るのだが、
『いらない』
『食べたくない』
『横になる』
この言葉しか口にしないAさんの一日の必要カロリーを補うために、高カロリーのドリンクを3食に合わせて飲むように、コップに準備配膳していた。
一日700Kcalは、ドリンクで体内に取り込んでいたのだが、食事摂取量が少ないことから脱水に近づいていた。

睡眠欲求と排泄


このAさんが1日中寝ていることが多くなっていた時に起きるのは、排尿、排便の時。ベッドから這い出してトイレに行く行動が取れる時と、トイレに行くことも動くこともしんどいのであろう、お部屋のベッドの中でリハビリパンツに排泄をして、そのまま寝ていると言うこともあった。

これが老衰と言う物の実態だと思う。

思考の停止、循環動態の変化と呼吸機能の低下
今まで、出来ていたことが、できなくなり、思考過程も滞り、食べているものの味にも関心がなくなり、食べたくもなくなる。
動けば息も上がり、体を動かすだるさを感じ、すぐ横になりたいと言う気持ちが強くなる。

動きたくない気持ちと、動かないことから、徐々に運動機能や心肺機能も低下してくる。
少し動くと、息が上がり方で呼吸をして、『ゼコゼコ』呼吸とともに音がする。
動くと言うことが、苦しく辛いものであろうと見て取れていた。

延命治療か自然死の選択


このような時に、選択するのは延命処置か、あるいは自然死を迎えるのか

なすすべがあるのならば、点滴補給や胃に穴をあけたり、鼻から管を通したりして、栄養剤を注入する延命治療をするのか。
食べることもできない状況を受け入れ、なすがままに、人生の週末を迎える準備をするのか。

二者択一でしかない。

当事者主権を貫けるか


それを決定するのは、本来は当事者であるはずだが、日本の家族で元気なうちに、延命処置について話し合う家族は少ないと記憶している。
インフォームドコンセントの席で、
『親は、延命を望まないといっていた』
『親は、出来る限り延命治療をしてほしいといっていた』
など、はっきりと選択する家族に出会ったことは少ない。
10人に1人程度かと思う。

家族と本人が話し合っていないと、自然死を迎えるということは、なかなか難しい。
なぜならば、2者択一の決断ができないからだ。もし自然死を選択した場合、延命治療の点滴もしなかった。酸素もしなかった。やれる事はもっとあったかもしれないが、何もしてあげられなかったと思い詰めるケースがある。
家族を失った者を支え、自責の念に駆られるのを防ぐためにも、悲嘆ケアの重要性がある。

ここのところ、延命治療のために点滴治療目的で、医療機関に入院し、点滴中、何度も、自分自身で点滴の針を抜き、結果的に手が使えないように、点滴中はベッド柵に手を縛られると言う抑制をされ過ごしている高齢者が多い。

体に500㎖でも点滴が入ると、一旦落ちていた生体反応の、話をする行為が可能になり、ベッドサイドに起き上がって、座ることもできるようになる。
ただし、点滴を中止すると再び脱水となり、寝たきりの姿に戻るのは当然のことだ。

ここで延命治療が良い悪いと言うわけでもなく、自然死に至ることも良い悪いと言うわけでもなく、あなたはあなたならどういう形で老衰を迎えるのだろう。
自分の最後の生き様を選択するのは自分でしかない。

最終判断をゆだねられる家族の悲痛


 あなたの親に対する選択を求められたとき、あなたは医師に対してどちらを選択すると言い切るのか。
人生における選択は、一方をとれば、一方は捨てると言うことになり、双方を選ぶことは、人生の終末期においてこそなしえないのである。
死の選択を何度も繰り返すことはできない。であるから、この世の最期を迎えるにあたってのあなたの決断を示しておいてほしい。

それを思うと、家族の最後と言うものを元気なうちに、お互いにこうして欲しいああしてほしいと言うことを話しておいた方が、残された者にとって大変酷な選択を強いられる場面から逃れられ、核心をもって
『親の望んでいた通り』
と言えたら最高の家族ではないだろうか。

生きているうちに、語り合う機会をもって、伝えておきたいと思いませんか。


2023.2.4(土)
MILK


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