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サービス付き高齢者住宅(夫婦で同室入居の姿を見て)

#認知症になっても夫婦は一緒にいるのが幸せ#一日同じ部屋に暮らしていても会話の無い夫婦 #共同生活者と話しあったことがありますか #親自身が認知機能低下したときの望みを知る

【年を重ね認知症になったとき】
~夫婦は夫婦として理解し続けふるまうものか~


お互いが夫婦であったこと、愛し合い互いが大切な存在と思い、
助け合い、声を掛け合い、手を取り合って生きてきたことも、記憶に残らなくなる人がいる。


息子や娘は、自分の父親と母親が、夫婦のどちらか一方が天に召されるまで、一緒に暮らすことを望んでいることを前提に、高齢者施設の夫婦同室を望む。

しかし、実際に父親と母親が在りし日の、夫婦の姿を続けていると思っているだけで、その実態を見てはいない。

同じ部屋で老いた父親と母親が、寝起きをしているが、
妻は夫がベッドに横たわっていても、寝入っているのか、ただ横たわっているのか思いを巡らせ、体を動かして確認することもしない。
であるから、夫が良質な睡眠が取れているのか、食事を残さずに食べているのか、お腹が空いてはいないのか、今日の機嫌はいいのかなど、思いやる感情は、薄れてしまうのであろうか。


今、まさに夫婦となり未来を思い、以下のようなことを、お互い言葉を交わさられているのではないか。
①子どもは何人ほしい?
②仕事は子どもができたら続けられるか?
③子育てが終わったら、夫婦の時間を楽しもう。
④マイホームを持ちたいか、否か。
云々

子育ても終わり、夫婦とも、
互いに健康で、時間と経済的に余裕のある世代など、
様々な夫婦の在り方の中で、生きていると思う。
生活していると思う。


今、幸せですか。

お互いが幸せだと感じられる、時間を生きていますか。

今は忙しく仕事をしているけど、定年を迎えたら、夫婦の時間を使って楽しもうと思っている方々。


先のことは、誰にもわかりません。

明日、夫婦のいずれか一方がいなくなることもあれば、認知症になる場合や、病気になって、思い描いたことができかねることもある。

佐倉 チューリップ祭り 2022

【妻や夫と理解できず言葉も交わさない】
~戸籍上の夫婦は続くが思いやりの感情は抱くこともない~

隣にいる人間が、妻であると認知できるか、
あるいは夫であるとわかるのか。
もしかしたら、初対面の人の様に接する場合もあるでしょう。

それ(夫婦であったことや、家族の顔)が、わからなくなった時も、
人間的な感情を表現できる自分でいられるか見当もつかないが、
快適感情や感謝の思いを表現できる自分でありたいと思う。

夫婦という戸籍上の関係を単に維持するために、認知的機能が低下しても、ともにいることが最善のことであるか、を考えなくてはならないと思う。

佐倉 チューリップ祭り 2022


【こんなことを口にしている認知症の高齢者】
~思い出も定かではなく、夫婦で会話していても不安になるばかり~

『退職してから、数年は、働きたいと思って事務仕事をしていたのです。』

『家族でも、旅行に行ったことは、あるのです。旅は、お互い(妻も私も)好きでしたから。でも、今、どこがよかったのか、どこに行ったのかも思い出せない。年をとったから、忘れちゃうのかなあ。』

自分の中にあった楽しかった記憶も、薄れていくことにまだ切なさはある人もいれば、薄れていく自分の記憶にさえも、考えが及ばない人も目の当たりにしている。

佐倉 チューリップ祭り 2022


【夫婦で横並びで椅子に座っている様子】
~公共交通機関での他人の関係と一緒~

会話一つなく、食堂の椅子に座り続けている姿を見るにつけ、

同じメニューの食事を召し上がって、お互いに横並びになっていても、今日のメニューの話もせず、夫は黙々と口を動かし、咀嚼しては、胃に流す作業だけをくり返している。
妻は、日中も眠そうにうなだれて椅子に座り、食事の時間になっても、自分で食事を口に運ぼうともしない。

妻の活動力の減退は、夜間の夫の行動が、問題な場合がある。
新聞を広げ、電気を煌々とつけて読むために、妻はその明るさのために寝ることができない。

このような、夫婦と言えども認知機能の低下により、お互いを思いやれる感情よりも、自分自身の欲求を最優先する姿を見ると、これまでの生活の表れなのかとも思う。

夫婦のありようも、もちろんその家庭によって、千差万別であるだろうが、観察していると、一緒に同じ部屋に住むことを大切にしているようには思えない。
『だからこそ、自分はどんな夫婦であり続けたいのか。』
自問自答し、思いやれる感情が喪失したときには、ともに場の共有にこだわる必要はないと思った。

夫婦であれ、コミュニティーにおける他者との関係の維持の仕方も同様で、他者を思いやれる表現が失われないよう維持したいと思った。

夫婦のみならず、超高齢社会に突入した日本で生きるのならば、家族と認知機能が失われたときの住まい方を話し合っておきたいと思った。

佐倉 チューリップ祭り 2022


他者の生き様は、他者の夫婦のありようの設計があったであろうし、
今の私には、「互いに命の限界と記憶が失われる日が訪れたならば」を考えて生きようと思う。


夫婦で一緒に何したい?
大切な人とどのような時間を過ごしていたい?

コロナで海外旅行は行けないけれど、一緒に笑って面白いことしましょうと、夫に声をかけてみたくなった。

                          2022.4.16(土)
                            MILK

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