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終末期の看護~Tさんの場合~

#食べられない  
#飲み込めない  
#口にできるのは 、大好きなジョージアコーヒー数口 
#苦痛は避けたいと思うのは万人の感情  

【Tさんとの出会い】
Tさんと出会ったのは2021年の11月。
初めて高齢者施設で仕事を始めた時だった。大腸がんで人工肛門を作ったものの、手術でがんは取りきれなかった。手術後の経過もおもわしくなく、食欲が戻らず食べる気にならないTさんだった。
翌月、私が足を骨折してしまい、2月まで仕事を休んでいたので、食欲の変化はその間わからなかった。
病気による休暇を終え2月、職場復帰した時、Tさんは車椅子に座って、食堂で食事をするレベルまで健康レベルが回復していた。

【この夏のTさんの食欲】
ところが、この2022年。この夏、8月に入り、一気にTさんの食欲は萎えてしまった。
自分で食べる気にもならない。水分する欲しない。
だが、大好きなジョージアコーヒーを少量だけなら、飲んでみたいといった。

飲めない。飲みたくないと言う状況の中で、唯一これなら口にしたいというものが冷たいコーヒーのジョージア。
Tさんの担当になったときは、訪室時に何度か耳元で、
「コーヒーをお持ちしましょうか」
と尋ねる。
口にする元気があるときは、歯もすべてなくなり、頬がこけた口元でも、口角を上げ、目元も優しいしわが浮かび、にっこりと笑って
「飲む」
と短い言葉を発する。

【コーヒーを飲むときの会話から、次の欲求が分かる】
たった、50mlのコーヒーを飲むにも、ゆっくりとストローで口に吸い上げ、口に含み、むせないように、気を付けて飲み込むTさん。
言葉を発する元気があったので、かなえられることはないか、趣味や嗜好について伺ってみた。
どうやら歌謡曲を、テレビで聞いていたという。
好きな歌手を伺うと、
「ザ・ピーナッツ」
といった。
音楽を聴いてみるか尋ねると
強く首を縦に曲げて、いつものしわくちゃな笑顔を浮かべた。

【お部屋にテレビはないしCDもないスマホもない】
Tさんの部屋にはテレビは無い。
音楽を聞きたいといっても、その部屋に音楽を聴けるようなラジオもスマホモない。
でも私のポケットには、スマホが入っている。

コーヒーを飲みたいといったTさんの耳元で、
ザ・ピーナッツの音楽を流しながら、ゆっくりと時間をかけて、コーヒーを飲んでいただく機会を作った。
・恋のバカンス
・恋のフーガ
・恋のオフェリア

音楽を聴いているときのTさんは、わずかに首をリズムに合わせて動かし、じっと目を閉じ聞き入っている。
こうして、コーヒーを飲みながら、音楽を聴き終え、また音楽を聴きながらコーヒーを飲む機会を作ることを約束した。
「うん」
大きくうなずき、満面の笑みを作ってくれていた。

【次のコーヒータイムから見えてくるもの】
2022年8月12日金曜日。
次のコーヒータイムは、
「ゆうちゃんが聴きたい」
と言った。
ゆうちゃんと言うのは石原裕次郎のことを言っている。Tさんは好きな音楽の題名すぐに思い出してこう言った。はっきりした口調で、にこやかに笑いながら。
「夜霧よ今夜もありがとう」

前回の音楽鑑賞のコーヒータイムの時と同様に、音を聞きながら、首をわずかに横に振るようにリズムに合わせて動かしていた。
そして、ジョージアコーヒーを、1曲ごとにほんの少し、量で言えば20㎖位をストローで口に入れる。この口に入れたコーヒーを味わいながら目を閉じ、Tさんは何かを考えている。
2曲目の選曲は、
「恋の町札幌」

私「北海道に行った事はありますか?」
Tさん「ずっと、九州にいたからいったことない」

私「九州のどちらでお生まれになりましたか?」
Tさん「天草」

九州の海美しさや、鮮魚の新鮮な話と好きな魚の話。
「ぶり」
が好きだと教えてくれた。
阿蘇や桜島など、九州はいろいろなところに行って回ったことも話してくれた。

80歳になるTさん。
これまで、北海道旅行をするなど、自分の好きなことや関心があるからと、好きなように思う存分生きてきたとは言い難いような気がした。

今という時間。
生きている時に、誰かの手によって欲求を満たすことができるのならば選択の自由はあると思う。
体力は落ちてしまったけれど、一瞬でも心地よい気持ちになり、笑顔を浮かべる機会があれば心は満たされるのではないか。

【点滴の針を刺すときの苦痛と治療選択の困惑】
食べられないから、点滴が入っている。
しかし、食べられなくなった人間の血管は細く、もろくなる。
血管に点滴の針を刺すときに、
「何すんだよ。馬鹿野郎言。痛いじゃないか」
と、針を刺す人間を睨み大声を出す。

Tさんは、そうでもしなければ辛い気持ちを、吐き出すことができない。
怒った後で、
「痛くて涙が出る」
と、落ち着いた口調で言う。

ある時、
「点滴が嫌ならば、診察をした医師に、自分でもう点滴はやめて」
「自分でいわないとだめだよ」
と、ある看護師がTさんに言った。

その時、Tさんは
「言えるわけねーだろ」
とまた声を荒らげた。

人の心はとても移ろいやすい。
あるときは、点滴のように痛いものは、やらないで、命が短くなったとしても、ほっといてほしいと思う。
ところが時間がたつと、少しでも、点滴を入れて、食べられない辛さを、乗り越えたいとも思っている。
単に、痛いからやめてくれと言うTさんの発言を、いちど聞いたからといって、私たちは単に代弁できるものではないと肝に銘じておかねばならないと常に考えている。
もし代弁したのであれば、心移りしたときのTさんの気持ちも大事にし、代弁していくのが今をとらえていく医療従事者の姿勢ではないだろうか。

                              MILK

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