骨折物語 その15 ~縫合不全との共存~
#2022年1月25日受診日のショック #痛しかゆしの感情に陥る #優先することは 、感染予防と傷の回復だよね
【2022年1月25日外来受診】
定期受診日。
左足の術創と末梢の知覚鈍麻と動いた後の浮腫み、足の痺れの持続が気になるところ、医師の診察を受けた。
診察した医師は、傷の再生がうまくいかず、組織再生が遅れていることに驚いていた。
術後、健側の右足に比べ2倍に腫れ上がり、水泡までできて、色も静脈血の充血うっ滞で、紫色を呈し熱感を持っていた左足。
今日も熱感は続いている。
外果の痛みは、1月4日の再診の時も医師には伝えていた。しかし、傷が開いていることに驚いている医師に私は驚く。
【創部の自己管理】
手術創15センチ。そこから、骨にプレートを入れたことによって、足の組織再生も、異物挿入されて内圧が高まっている中、耐えていた可愛い足。
自分の左足に対して、かわいい自分の身体に一部だと思い、ひたすらに挙上し冷やし続けた。
キズパワーパットを張って、感染を防ぐために、手術後も入浴は避け、シャワー浴だけにしていた私。
医師曰く、
「来週25日再診。毎日シャワー浴をして、創をせっけんで十分洗い、水分をふき取ったのち、傷にイソジンシュガーを塗り、滅菌ガーゼを当てて、包帯を巻くように。」
【過度な足関節への負荷を避ける指示】
「傷の再生を妨げるような、過度の足関節を動かすような動作を極力避けるように。」
「傷再生を妨げる、足関節に負荷をかける運動はしないように。」
との指示を受けた。
ある程度の運動が、血液循環を促進し、手術した足の細胞に酸素と栄養を運ぶ。
しかし、足を動かす運動は、傷に圧力を加えることとなり、再生を妨害するという考え。
この、相反する命題に対して、私は1週間取り組むことになった。
【自分でできる事と生活の変化】
〈一週間の課題〉
足首を動かしすぎない.
体重をかけすぎない。
となれば、等尺性運動をするしかない。
ベッドの上で、筋肉の緊張を保つ。
足上げ運動。
左足首は、ひねりを加えず、底背屈による外くるぶしの可動を抑える。
〈これまでが否定される悲しみ〉
1月18日の再診まで、自分なりに回復促進を願い、
①足関節の屈曲運動。
②足関節の背屈運動。
この①②の運動を繰り返し、足背運動の可動域が増していたのに、それが悪影響だとすれば悲しすぎる。
ショックでしかない。
一気に自分の張りつめてきた自分の心が、溶解した気がした。
〈今は何をするのが優先なのか〉
だったら、ほぼ足を挙上して過ごしていようと心に決めてゴロゴロ生活をして、診察後の時間を過ごしてみた。
半日歩かず、ベッドでごろごろしている。
不思議というか当然なのか、はたまた腫れが収まる時期だったのか、確かに浮腫みが違う。
見た目の皮膚の色も、左足背周囲計=20.5㎝ 右足背周囲計=20.0㎝
明らかに腫れが減少する。血液のうっ滞もないので、色も紫系の色を示さない。
〈自己自粛生活〉
自粛生活に切り替え、来週の再診日に備えます。
受診した18日から、ここ数日。
結局、足の縫合不全があるので、松葉杖を使って移動動作をしても、傷への圧力が加わり「ピリピリ」痛む。
「ピキン」とひきつれる。
かといって動かなければ、左足関節の関節が拘縮するだろうというジレンマとの戦いをしていた。
ただし、今はあせらず、まずは組織再生を優先し、感染予防に努め、再手術にならないことを優先に過ごそうと心に決め、自粛生活を自らの医師で続けています。
組織再生が、自らの思い描いたと通りにならず、細胞に意思が届けられない。この至極当たり前のことに、もどかしさを感じたと言うことを吐き出させてもらいました。
自分にとって、いまは何ができる事が望みか。その望みに対し、何をしたらいいのか。
ないが可能なのか。そんなことを、じっくり考える機会も、自分の体が自分でうまく動かせなくなってみると、考える機会になりました。
来週火曜日。1月25日。
再診日になってます。
今は、毎日ゆっくりシャワーを浴び、足を温め、傷口を自分でやさしく泡で洗い、イソジンシュガーを塗り、滅菌ガーゼを当てて、包帯を巻く毎日です。
もしも傷の組織再生が滞り、骨折部位に入れたプレートを取った方がいいと医師に言われたら、その時はその時だと思って今は過ごしています。
どうにもならないことに不安を感じていても、結果からは変わらないと言う事ですね。
2022年1月23日(日)
MILK
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