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デジタルネイチャー

 こんばんは。MIラボD.Hニコ🦷です。デジタルネイチャーは、難しいので感想を書く手が震えてしまうのですが、今日から落合陽一さんの個展が開催されることもあり挑戦してみることにしました。

前回の個展、こちらに昨年行ってきました。そのときに心を鷲掴みにされたのが『鯖』

私、実は鯖が好きではありませんでした。味覚としてではなく柄が苦手でした。ところが、作品は非常に美しかった。おみやげにいただいたポストカードの効果もあって鯖が気になって仕方なかったのです。

(私の写した写真じゃわかりにくいですが)

この個展のすぐ後にデジタルネイチャーが発売され、いくつかの書店を回るも置いておらず、アマゾンにて手に入れました。

目次(一部抜粋)

第1章 デジタルネイチャーとは何か――オーディオビジュアルの発明、量子化、デジタル計算機、そして計算機自然、デジタルネイチャーへ
機械と自然が融合する時代が始まる/メディアアーティストとしてのエジソン/電流戦争から100年後の直流的デジタル社会/〈近代〉を規定する「エジソン=フォード境界」を乗り越える/「AI+BI型」と「AI+VC型」に分化する社会/「タイムマネジメント」から「ストレスマネジメント」の時代へ

第2章 人間機械論、ユビキタス、東洋的なもの――計算機自然と社会
〈人間〉と〈機械〉の統一理論・サイバネティクス/「End to End」という魔術/サイバネティクスとユビキタスを思想的に継承する/計算機自然が〈人間の補集合〉となる

第3章 オープンソースの倫理と資本主義の精神――計算機自然と自然化する市場経済
マルクスとウェーバーに還って現代のエコシステムを考える/オープンソースの倫理と資本主義の精神/絶えずリセットされ続ける市場の出現/「脱倫理性」がもたらす可能性

第4章 コンピューテーショナル・ダイバーシティ――デジタルネイチャー下の市民社会像、言語から現象へ
リアル/バーチャルからマテリアル/バーチャルへ/〈人間‐機械〉の中間領域にあるオルタナティヴ/コンピューテーショナル・ダイバーシティ/ダイバーシティにコミュニティや社会の意思決定を最適化する

第5章 未来価値のアービトラージと二極分化する社会――デジタルネイチャーは境界を消失させる
〈楽園〉の世界と〈奴隷〉の世界の二項対立を乗り越える/第三のてこの原理「アービトラージ」/帝国に対抗する「ラボドリブン」の可能性

第6章 全体最適化された世界へ――〈人間〉の殻を脱ぎ捨てるために
コード化によって変わる遺伝的多様性/ロボティクスとVRによって解放される「身体」/解体される「自我」「幸福」「死」の概念/失われた多様性をインターネットが担保する/人間の寿命を超えた知性が出現する

終章 思考の立脚点としてのアート、そしてテクノロジー――未来を予測する最適の方法としての
〈超人〉・〈身体性〉からデジタルネイチャーへ/〈物質〉と〈実質〉の境界を突破する/〈生命〉と〈機械〉の新しい関係/不可視のデータ、そして重力からの解放へ/風景と計算機自然

ワクワクしながら(でも理解するには難しいことも多い)、ページをめくると鯖について記されていました。

光の波、水の波、海の青、空の青。日光のレイリー散乱と海の散乱による青。海中から空を見あげる。そのとき、視覚的なあらゆる波は結合する。鯖。青魚の保護色は波と波の境界線に見える、視覚的擬態であり、海と太陽を自然が光学的に模倣したものだ。

これは、波と知能と物質と風景による計算機自然であるという。テクノロジーとアートのもたらすプロセス。鯖の保護色についてを全く知らずにいた。あぁ、あの柄には理由があったんだ。それを知ったら鯖が愛しく思え、その作品に描かれた侘び寂びにアーティスト落合陽一の凄さを初めて知った。(それまで教育者としての印象が私には大きかった)

著書の中で、もう一つお気に入りなのが、『Fairy Lights in Femtoseconds』 妖精が浮かんで見える三次元触覚映像を作り出す技術。この妖精は、「微かなもの」と「確かなもの」に宿る幽玄性の現象である。


純粋にアートを楽しむためにデジタルネイチャーを読んで理解を深めることも出来る。医療者としては、医療現場でVRや3Dプリンターがどのように活用されるのかを考えるきっかけ、すなわち問題に気付き、それを解決するために今何をすべきかを実装するための原動力になり得る一冊ではないかと思う。

(ただ、個展に行きたいよーと言いたいだけの話なんだけど…)

コーヒーも美味しいらしいです。個展…