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狂気山脈HO2B前日譚

「さすが海翔くんね、心拍数、血圧、肺活量、どれをとっても問題ないわ」
白衣の女性はミーティングルームに入るなり、バインダーを隊長に手渡す。
「これで海翔も無事チーム入りだな。まぁ隊長の愛弟子だもんな、当たり前か」
アメリカの天才アルピニスト、マーク・アンドリューは海翔の肩に腕を回す。
「おい、変な誤解を与えるな。愛弟子だから連れて行くのではない。我々が生きて帰るために必要と判断したからだ。海翔のナビゲートはあのケヴィン・キングストン氏にも引けを取らない」
隊長と呼ばれる彼はウォーリー・アンターマッテン。数々の絶壁の山を命綱なしで単独登頂する常人離れした登山家であり、僕の師匠だ。
「ケヴィン?あー、K2か。化石じゃねーかよ」
マークはヘラヘラとウィスキーを煽る。
近年、隊長とバディを組んでおり、今回も参加するネパール人の長身の男、ルタ・ニルマは空気を変えようとブリーフィングの再開を促す。
そう、我々は南極大陸にある未踏の山脈を調査するべく結成された登山チームである。
標高はマッターホルンの倍はあろうその心躍る山脈を、この精鋭たちで挑むのだ。これ以上の栄誉はない。

ブリーフィングも完了し、登頂前夜のことだった。

国際電話の相手は姉だった。会話するのも3年ぶりだった。
母親が亡くなったとのことであった。
思いの外そっけない返事だったのか、姉に「そういやあんたってそうだったわ」と呆れられ電話を切られてしまった。
僕は本当になにも感じていないのだろうか。
半年前、父のガンによる死以降、母はもぬけの殻のようになってしまったと姉には聞かされていた。
外に出て、夜空を見上げる。
思えば僕は家族と向き合ってきてただろうか。
父のガン治療にも、姉の結婚式にも、僕が向き合ってたのは山だった。
僕は山に狂っていたんだと、改めて認識させられた。
いち早く察したのは隊長だった。
「何かあったんだな?話してみろ」
この人には昔から敵わない。少しの心の動きでも見逃すことはなかった。
「母が亡くなったって連絡がありまして。こんなタイミングで、はは。でも、意外と動揺してないんですよね、、、こんなときでも山のことばかり、、、ぼくって、ほんとに薄情ですよね、、、」
隊長はタバコに火をつけ、夜空を仰ぐ。
「ふむ、、、動揺していない、か」
真上にタバコ煙を吐き出し、こちらを向く。
「海翔、チームから外れろ。ナビゲートはマークにやらせる」
予想だにしない宣告に、心拍数が上がるのを感じる。
「え、いや、待ってください隊長!僕全然大丈夫です!そんな、なんでここにきて!」
隊長に詰め寄るも、隊長は微動だにしない。
「地上の迷いに引かれるやつは命を落とす。お前だけではない、チーム全体を危険にさらすことになる」
「そんな、、、」
隊長は立ち崩れる僕に視線を合わせるため屈む。
「海翔、いいか。お前に何度も伝えている。死は」
遮るように口を挟む。
「死んだら終わり。何もない。でしょ?」
「そうだ。だが、お前は、本当の死を、死というものと向き合っていない」
「死なら、登山でたくさん、、、!」
「それは知識だ。だがお前には経験とその先が必要なんだ。帰国しなさい」
そう言うと隊長は戻っていった。

僕は、チームを外れた。

その数日後だった、あのニュースを目にするのは。



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