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結婚に至るまでのサイドストーリーならぬバックストーリー2

前回の続き。

 そもそも私は結婚する予定はなかったのです。
自分にはもやもや病という持病があり、出産の時に脳に負担がかかるし最悪脳梗塞の可能性も、とお医者さんに10代の頃に言われていたのです。私は極端だったのですね。うーん、じゃあ結婚しないほうがいいかなって。ましてや自分を選ぶ人がいるとは思ってなかったのですね。化粧は下手だし、変顔ならいくらでもできたのに普通に笑うのが凄まじく苦手で。とにかく卑屈でした。自分の姿を正しく見れなかったんだなと思います。まあ鏡を見ても実際とは違いますし、写真を見てもほとんど変顔してるし、普段見慣れている自分とは違うのですから。自分の外見は他人が見るようにはわからないですから。でも10年の時が経った今では、若い時こそもうちょっと自分を愛してあげたほうが良かったなと思うのでした。後悔。

 ある日の日曜日。聖餐会の後に未来の夫が私に声をかけました。
夫「来月から同じ会社で働くことになったから」
私Σ( ꒪⌓꒪)え

 夫は私の反応を見てこう言いました。
「そう言う反応を会社でされたくなかったから事前に言ったの」
 その言い方はまるで私のことをよく知っているような言い方で気に食わなかったのを覚えています。実際にこの時点では私たちには接点らしいものもなく、本名で登録するSNSでも友達ではありませんでした。話をしたのは前回お話しした「旅行に行かないか?」という話くらいでした。

 それから実際に会社で顔を合わせた時、特に話をするわけでもなく時間だけがすぎていきました。コンピューター作業や閉鎖的な空間での作業が多かった私は、お昼を外の非常階段で一人食べていました。他の女子社員と一緒に休憩室で食べても良かったのかもしれませんが、狭い場所で食べるのが苦痛だったのです。祖母特製のお弁当を非常階段から見える畑の緑を見ながら食べるのは幸せでした。

 私はバイトだったので定時で帰れといつも追い出されるように返されていました。いやぁ、みなさん残っているなら私も何か手伝いますよ……とでも言うと「残られても手伝ってもらう仕事もないんでね。帰ってください。バイトなんだから定時でいいの。お給料多く払わないといけないでしょ」と私のいた部署の方に言われていました。邪魔かよーとか思いながら、タイムカードを切って会社を出てしばらく進むと見覚えのある後ろ姿がありました。

 それが夫でした。教会での明るい佇まいと比べると俯いて歩く姿が対照的でした。何か辛いことでもあったのだろうか、と思い私は声をかけました。

 お疲れ様です、から始まる無難な会話。仕事どうですか。慣れてきましたか。そんなことあったんですか。いろいろ話した最後に何気なく、辛いことでもあったんですか、と聞いてみた。ないよ、と言われて「あんなにトボトボ歩いてたのに?」と聞くと「通勤の時に人と顔合わすのしんどいから下向いて歩いてるだけ」と言われてそんな理由もあるんだなぁ、と思ったものです。

 帰る方向がある程度一緒だったのですが、大きな駅の前で教会のことで会話していると分かれ道になり、彼は「ついでだから家送ってくよ」と言いました。いや、良いですよ、と私も言わなかったのでまあ他愛のないおしゃべりが楽しかったのでしょうね。家まで行くと祖母が夫に夕食を勧めました。孫を送ってくれたお礼、と言う形で。祖母には頭が上がりません。

 その週末に夫はまたうちへ訪れました。シャインマスカット一房という贈り物を携えて。祖母と私はみのぎっしりついたマスカットを見て顔を見合わせ。
「この前の食事をいただいたお礼です」
そういう彼に私たちはびっくりしました。祖母はかしこまって
「ご丁寧にどうも」と笑顔でした。
 帰ろうとするシャインマスカットの使者(違う)を、祖母が私にお見送りして差し上げなさい、というので私はお見送りをしました。見慣れた町の通りを少し一緒に歩いているとふと「来月の土曜日、一緒に伊勢神宮に行かない?」と誘われ、口をぽかんと開きました。当時(今もだけど)着物や和風の小物が大好きだった私は、それがデートの誘いだとは気付かずにほぼ二つ返事でその誘いに載ったのでした。

 気分は遠足。夫は引率の先生でした。

 その伊勢神宮へ遊びに行った時にまた他愛のない話をして。お昼を食べて景色を見てまわったり、何かを買ったさいにいただいた福引でハズレが出てかつお節の小さな袋をもらって。それを道端で見かけた野良猫にあげたら、鼻息で鰹節を飛ばす勢いで夢中で食べてる姿が可愛くて二人で笑ったり(横で夫が猫の気持ちを代弁していた)。
 夕方、宮内と外を結ぶ橋の上から水の流れを一緒に見ていました。浅い川の上を脚の細い鳥がツテテテテと歩いている姿を二人で眺めて。こんな穏やかな時間、私の人生であっただろうか? と永遠のように感じられた束の間に思ったのです。
 お土産に赤福餅を買って帰りました。伊勢で買うと付属のヘラが木製(?)で、それ以外で買うとプラスチック製だと聞いたのはその時だったかな。

 あの橋の上での穏やかな時間が忘れられなかった。

 その日の夜、私は布団の上で正座して思い巡らしていました。結婚しないって決めていたけれど、あんなに穏やかな時間を過ごせるとしたらいいなぁ、って。もちろんこの目まぐるしい世の中で、いつもぼんやり川を眺めていられるほど甘くはないということはわかっているけれど。一緒に過ごす人がいるとしたら親友みたいになんでも話せる相手が良いよなぁ、とか思ったのです。で気がついたら跪いて神様に「あの人が欲しいです」といつになく真面目に祈った私でした。

 その後何回か食事でディープな会話をしてもう一回デートをしてあっさりプロポーズされたのでした。そのディープな会話の中に、私の物理的な持病の話や、そこから起こりうる可能性の話をしました。そのみちのりで私が途中でこの世からいなくなる可能性の話とかもしました。その時に夫はボロボロ泣いていて、私もつられて泣いてしまうという。それでも一緒になりたい、というのが彼の、そして私の、答えだったのです。

よく、結婚せずに独身でいたほうが幸せという話を私はネット上で耳にします。それはある意味事実な部分があることを否定しません。自分のしたいことを好きな時にできる自由があることは幸せといえましょう。また子供を持たない選択もまたその人たちの幸せの選択であるので否定もいたしません。

 私の場合は、自分が愛し続けると選んだ人と共に成長をする経験は、人のさまざまな見えない部分を育んでくれるだろうと思ったのです。そして未熟すぎる私が成長するには自分ひとりだと心が折れてしまうだろうと思ったのです。今も未熟さを抱えて生きておりますが、ひとりじゃないのが心強い上、昔よりは未熟さが少し軽くなったように感じています。

 今振り返れば、夫にとってもハードな10年間だったことと思います。心がゆがく前のスパゲッティだったら、無惨なくらいバキバキに折れていたことでしょうね。でも幸い夫はゆがかれたスパゲッティであったようです(笑)その恩恵を私は大きく受けています。私は私なりにしか愛を示せていないのですが、今でも「一緒にいると居心地が良い」と言ってもらえることに感謝しています。そしてことあるごとに「君と結婚して良かった」と言ってもらえる光栄に預かれている奇跡に、感謝しています。

こんな私を拾ってくれてありがとう。

#ありがとう

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