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芸の道は長く、人生は短い

何をもって生きるとするか、何の為に生きるのか生きてるってなんだろ生きてるってなあに。それは、原田泰三です。

意外にそんな事を思って、人知れず悶々鬱々している人は多い。まともな事なんて語り喋った日にゃ、その日から変人奇人扱い。まぁ、そんな大それた事考えてないし、そもそもそんな根性もない。たまの飲み会で酔って暴れて下半身御開帳、全裸で路上ダンサーになるのを止められて、ゲロに泥酔熟睡。次の日全く覚えていませんが、やらかした感覚だけは脳味噌の端にべったりとこびり付いている。ストレス発散、自分に言い聞かせるが実のところ、蓄積している事にも気付かないのである。

ある時、人生に悩みに悩んでいた私はふと自分の掌を見つめた「あれ、私の手ってこんなだっけ」さらに見つめ続ける「あれ、私の手かしら」更々更に凝視する「この物質は手というものかしら」足元から地面の感覚が消え、暗闇が広がり、手を見つめたまま一時間が経過していた。ゲシュタルト崩壊というやつである。あやうく生きたまま喜々として、三途の川をバタフライ遠泳するところであった。向こう岸から中島らも氏が酔ってデカい石を投げつけてきたはずである。


そこで思った、鬱積した全てのものは表現すべきであると。

表現はピンキリなんでも良いのである。今では、何も無いアートとかいう妙ちきりんな物まである。SNSなんて全ての人が表現者だ。酔って暴れてゲロしたら、それを写真に撮ってコラージュしたりなんかして発表すれば良い。生きた軌跡は残るだろう。その時、カメラを携えシャッターを切れればの話だが。









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