備忘録 〜そこそこ長めの後編〜
少しさかのぼって、2023年9月の始め頃。
急にお金の不安が湧いてくる。
いまさら?て感じだけど、会社を辞めた直後は、「失業給付でるし、待機期間中は、退職金を切り崩せばなんとかなるし。しばらくは大丈夫っしょ👍」くらいな、かるーい気持ちでいた。
そっちより、拘束時間からの解放感のが強くて、不安になってる場合じゃない、てくらい、心が喜びであふれてた。
置き去りにしておいた不安が湧き出てきたのは、退職金の底が見え始めてきたのと、失業給付が始まったはいいけど、数ヶ月後には、支給が終わる、てことに、ちゃんと、気づいちゃったから。
そろそろ、なんらかの収入を得ることが目処とか、実績出さなきゃ!
ていう焦り。
起業に向けて、具体的に動き出そう、と思って、なんども取り掛かろうとするんだけど、それまでの一歩一歩が、わたしには、大変そうすぎて、ため息しか出ず。結果軸がブレブレなんだ、て思って、「まずは自分と向き合うことだな」てなるんだけど、このセリフ、半年前も言ってた。わたし、いつまでこのセリフ吐き続けるんだろう?
そう思ってた9月の始め頃、姉に言われた。
「少し休んだら?なんか、全然楽しそうじゃないよ。」て。
「『仕事辞めて、これからは、やっと好きなことできる!』てなったのに、ちっとも幸せそうに見えないよ」て。
ガツーン、ときた
姉はそんなつもりではなかったのだろうけど、バットで殴られたくらいの衝撃があった。
で、勝手にポロポロ、吐露が始まった。
「やりたいことやろうとすると、旦那さんや、お父さんの顔が、いちいちチラついちゃうんだよね。
これやったら、なんて言われるんだろう?怒られるかな?機嫌、悪くなるかな?て。
いい歳して、バカバカしい、とも思うんだけど、どうしてもそこの恐怖が消えない」
前からそんな自分には気づいては、いた。
で、そんなちっぽけなことに、エイヤーってなれない自分が、情けなくもあった。
起業の行手を阻んでいる感情って、こんなことなのかー、て。
その日、改めてそのことに気づき、ものすごくモヤモヤした気持ちで姉の家を後にした。
その翌日のわたしの、たまーに描いてた日記には
「今はとにかく、頭を空っぽにして自分とつながりたい。思考をとっぱらって、ピュアピュアな自分とつながりたい。
自分とつながった、自分を感じてみたい。
根拠はないけど、自分とつながった時、宇宙とつながる気がする。
ピュアな自分が求めるもの、望むことを感じてあげたい。ガチガチのゴテゴテに固めて押し込めてしまった、自分を解放してあげたい
私を大切に生きてみる
」
そして、同じ日に、前編で書いた、インスタのリールで気になってた方のコーチング講座の勧誘込みのセミナーを受講。
受けてみたい!と思ったけど、なんか煮え切らないわたしは、これもノートに書いて、気持ちの分析をしていた(えらい!👏)
そして、これが、その時のメモ↓
現状を打破したい、けど、どっちに進んでいいのか、今の私には、何が正しいのか、わかんなくなってる感が、ヒシヒシすぎる😆
結論、この講座もお断りした。
そして、その日、瞑想をしてたら、気づきがあって、それも、日記に残していた。
「今日瞑想をしてて、自分を執拗に、こっぴどく懲らしめ続けているのは、他でもない『自分』だということに気づいて、驚がく!! 涙が出た。
。。。」
びっくりした。
何をするにも、どっちへ進むにも、誰よりも自分に対して否定的で、誰よりも自分を信用していないのが、自分にぴったり寄り添っている自分だとは。
自分を大切にしよう!
今まで、なんども思ってきたけど、
この時、本気で思った。
そしたら、こんなにこっぴどく、いじめられてきたのに、健気に生き続けてくれた自分に、心から慈しみと感謝の気持ちが湧いてきた。
わたし、ありがとう。
それからは、ピュアピュアな自分に会うために、自分に問い続ける日々が始まった。
50年近く、ピュアな自分を隠し続けて生きてきたので、自分でありながら、自分の中の自分になかなか対面できず。
すぐそこにいるんだけど、なにか話しかけてくれてるんだけど、もやがかかってよく見えず、声も届かず。
やっと、自分を大切にしよう、と本気で思って、そのためには、自分の中の自分とつながればいいんだ、と感覚的かつ絶対的に気づいたのに、すぐそこにいる自分の中の自分が見えない、聞こえない。
これがまた、苦しかった。
考えても方法は浮かばないし、休めばいいのか、動けばいいのか、進めばいいのか、立ち止まるといいのか。
混乱。そしてフリーズ。
そんな状態で迎えた、2023年9月27日、
母と、わたしの共通の知り合いである女性に、30年近くぶりに再会。
そこで、ちょっと、いや、かなり精神的にダメージを受けることがあり、母の存在と言葉に救われながら帰宅。
疲れた。もう、本当に疲れ果てた。
気持ち的には、聖堂で、パトラッシュと横たわるネロの気分(昭和🤣)
寝ても覚めても頭痛がするし、薬は効かないし。
そんな時、例の講座に出会った。
そんな状態だから、絶対やばいって思ったし、そんな状態でも、絶対に断る自信があったのに、受講を決めてた、という、前編の最後に繋がる。
退職を決めた時と同じ。
自分の意志とは別の何かが働いてるみたいな、なんとも言えない感覚。
今までの講座は、一生懸命
受講する理由を探してたけど、
今回は、必死で受講しない理由を探しまくってた。
受講を始めてみると、そこは、自分と繋がるための講座だった。
そこも知らずに入ってるくらい、ホントなんの講座かわからず入ったの。
身近なお友達や家族は、これを読んだらさぞかし心配するだろうなー。
と思いつつ、忘れないために、ちゃんと書く。
講座は始まったばかり。
はじめの数日は、自分がなぜ受講を決めたのか、頭が納得しないから混乱してたけど、いざ受講を開始したら、みるみる自分のブロックが外れて行くのがわかる。
わたし、魚なのに陸を歩いてたのかも、て思っちゃうくらい、水を得た魚の気分を今は味わっている。
今後のわたしはどうなっていくのかわからない。
けど、自分を大切にしよう、と覚悟を持って決めた自分だけは持ち続けていこうと思う。
これにて、ひとまず、備忘録終了。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?