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史上初?! レターポットで新サービス『お祈り代行』始めます!!!


発端は友達のセトちゃんとの、このやり取りから。


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「商品やサービスを提供する代わりに、レターポットでレターをいただく。」


という”貨幣的役割”を持たせるとどうなるかという実験がしたいなーと思い、こんなサービスを作りました。


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お祈り代行サービス『OINORI』


とんでもなく怪しい匂いのするサービスですが、決して怪しくはないので、順を追って説明させていただきます(笑)

(※当サービスはレターポット開発者の西野亮廣さん、及び運営会社の(株)NISHINOの公式サービスではなく、僕が勝手にやってます。)


レターポットの価値とは?!


まず、レターポットを最近始めた方も多いそうなので、少しだけ説明を。

レターポットは「文字を購入し、誰かに贈るサービス」です。

運営会社から1文字5円でレター(文字)を購入し、それをレターポットに登録しているユーザーに贈ることができます。

そして受け取った側は、もらった文字を他の誰かに贈ることができる、という仕組みです。


お金やポイントの代わりに”文字”に付加価値をつけた仮想通貨的なものなんですが、換金機能があるわけではないので、僕のイメージとしては「言葉(想い)を”お金”というわかりやすい基準で価値のあるものに変える装置」だと思ってます。

普通に「ありがとう」って送られてくるより、1文字5円の「ありがとう」が贈られてきた方が受け手は価値が見えやすく、また贈り手は文字にお金がかかっているので1文字も無駄にしたくないという”労力”がかかるわけです。

想いを”お金”や”時間”という価値で見える化したものが、レターであり、レターポットが提供するサービスになります。


ちなみに開発のきっかけは、西野さんが「差し入れでいらないものをもらっても捨ててしまう。それだと誰も喜ばないから、提供したい”想い”を(無駄にならない)文字にして可視化しようと思った。」的な感じで仰っています。
(詳しくは後述します。)

さて、長くなりましたがサービスの説明をしていきまっす!


お祈り代行サービス『OINORI』ってなに?


今回、サービスを作るにあたってのルールは5つあります。


①レターポット本来の意味を見失わない。
②(換金できないので)プライスレスなものにしたい。
③貨幣じゃできないサービスを作りたい。
④心温まるサービスにしたい。
⑤僕じゃなきゃできないものを提供したい。


たとえば「レター(文字)の数によってお米を△g送ります。」みたいなサービスにしてしまうと、僕は経済的に死ぬのでwin-winじゃないし、そもそもレターである必要ないし、(お金さえあれば)誰でもできてしまいます。

レターが「言葉」であるという良さを活かしながら、かつ僕じゃなきゃできないサービスって何かなーと考えていた時に、閃きました。


『家、お寺やん!!!!!』


そうなんです、僕の家はお寺なんです。

部屋の襖(ふすま)を開けたら、仏さんが座ってる感じのちゃんとしたお寺なんです。

一般的なご家庭よりは段違いなパワースポットに住んでる僕が、「お祈りしたい誰かの代わりに、僕が仏像に手を合わせる」ってめっちゃいいなって思ってしまったので、爆速でサービス化しました。


役にも立たないし、意味もない。


普段から論理的に物事を考えるタイプの僕は、スピリチュアルな話は全くもって興味がなくて、仏教や宗教に関しても学問的に勉強をしています。

なので先に言いますが、僕が祈ったところで願いが叶うとか、そういうサービスにはできません。

本当に役にも立たないし、意味もないサービスだなって思います。



みなさん、お正月には神社やお寺に行って願い事をしたり、絵馬に想いを書いたりすると思うんですけど、どこまで本気で信じていますか?

今年の抱負、なんて言ったか覚えてる人はそう多くないと思います。

ではなぜ、お賽銭を払ってまで願い事をするのか。


人は、自分の願い(想い)を一緒になって背負ってくれる人を欲しているんです。


健康な一年でいられますように。

好きな人と結ばれますように。

家族と幸せに過ごせますように。


いろんな想いを、丁寧に言語化して、伝わりますようにと、一生懸命願うんです。


あれっ、レターポットに似てません?????


わざわざ寒い中でお寺まで行って、しかもお金を払って、限られた時間の中で、端的に願いをまとめて、届きますようにと心を込めてお祈りする行為こそ、”お金”と”時間”をかけてコミュニケーションを取ろうとするレターポットそのものじゃありません???


では、”レターポット”と”お祈り”の違いは何か。


それは「利己的」か「利他的」か、だと思います。

レターポットは相手に何かしてもらった時に感謝を伝えたりすることが多いですが、お祈りする場合は多くが自分のことだったりします。

つまりは、『レターポットを利己的に使う市場』がごっそり空いてるんですよ!笑

ここについて、もう少しだけ詳しくお話しさせてください!


感謝は”不満”から生まれる。


レターポットは主に「感謝を伝えるツール」として使われやすいことはご理解いただけたかと思いますが、この「感謝する」という行為は誰かに助けてもらったり、いいものを提供してもらった時に湧き上がる気持ちから起こるものです。

美味しいご飯を作ってくれた時、席を譲ってもらった時、悲しい時に寄り添ってくれた時、、、。

じゃぁ、常に美味しいご飯を食べてる人が、普段と変わらないご飯で感謝を想うことはあるでしょうか?

想える人ももちろんいますが、なかなか難しいんですよね。


不満のない満ち足りた世界では、感謝を想うことはできないんです。


大切なのは『言語化』すること。


僕は、不満にこそ価値があるなと思ってます。

不満というと大げさですが、現状から変わりたいという気持ちが、「祈り」という行為を生むわけですよね。


「祈る」ということに僕が素敵だなと感じるのは、自分が心から願いたい想いを『言語化できる』というところです。


わざわざ労力とコストをかけて寺社で願うわけですから、当然しっかりと想いを言語化して、頭の中で文章にしています。

レターポットもまさにそうで、その「何とかして想いを100%伝えたい」という気持ちが、行動が、まさに『思考は現実化する』という名言の第一歩だと思ってます。


『OINORI』が提供できる価値とは。


想いの部分はめちゃくちゃ伝えたつもりなので、最後に具体的なサービスについてのお話を。

使い方は単純明快で、僕のレターポットにあなたの「お祈り」を書いて贈ってください。


僕は贈られてきた内容をニマニマと見ながら、我が家の仏像に手を合わせます。

「他人が仏像に手を合わせて効力あるの?」と思う方もいるかもですが、仏教について一般以上の知識がある僕が大丈夫と言っています。


そして僕は、あなたのその『想い』を背負ってこれから生きていきます。

ふとした時に、「そういえば、あの人はこんなことがしたいって言ってたなー」なんて思い出したりします。

そして、もしも僕の祈りが功を奏して、願いが叶っちゃったりしたら、その時はまたレターを贈ってもらえるとすごく喜びます。


利己的だっていいんです。

あなたの叶えたいこと、願いたいこと、想いを、贈ってください。

叶うかどうかはわかりませんが、僕はしっかり受け止めます。




僕がしたいこと。


最近コロナのせいで暗いニュースばっかりで、僕も含めて「現状とどう向き合うか」に必死で、そして疲弊している感じがしています。

こういう時だからこそ、「本当は何がしたいのか」という気持ちを改められるサービスを創りたいと思い、こんな感じのサービスにしてみました。


僕が祈ることに価値があるわけじゃなくて、あなたが本気で想って、言語化することに価値があると想っています。

今だからこそ、助ける・助けられるの関係じゃなくて、共に寄り添って歩くことが大切だなと感じています。

それを、レターポットという素敵なサービスを通してお届けできればなという想いで創らせていただきました。


今日セトちゃんと話してすぐだったからか、あまりに言語化が下手で、長々とした文章で伝わったかどうかもわかりませんが、とりあえずスピード感もってできたのは自分に100点をつけようと思います。


最後に、レターポットに関する西野さんの記事の引用を載せて終わります。

読んでみると「僕のやるサービスは本当に正しいのか?」なんて思えてくるんですが、心温まるサービスになると勝手に思ってるので、実験してみることにします。


たとえば、「一人の人間が一生のうちに使える文字数が100文字まで」と決められた世界に生まれたならば、僕らはその100文字をどう振り分けるか?を真剣に考える。
そして、できるだけ自分の好きな人や、自分を救ってくれた人に使いたい。

たとえば、そんな世界に生まれて、誰かが自分の為に、20文字を使ってくれたら、こんなに嬉しいことはない。
申し訳ない気持ちになるほど嬉しい。

レターポットで文字を贈ると、自分の手持ちの文字が減る。
そして、贈られた側は、その仕組みをもう理解している。
レターポットという世界の住民は、その世界の中で交換されている文字に価値があることを知っている。

その文字は「保管」しておくことができるし、誰がどれほどの感謝されているのかの「尺度」にもなりうるし、誰かが何か素敵なサービスをしてくれた時の御礼に贈ることができて、結果的にサービスと「交換」することができる。

それは、もはや「通貨」で、2〜3度使うと、「換金装置は必要ない」という感覚になってくる。
換金せずとも、その小さなコミュニティーは回るからだ。
送金サービスなどではない。

言葉が通貨になる世界は、地球が始まって、まだ誰も経験したことがなくて、くわえて、これまで何百年も何万年もゼロ円で使ってきた「言葉」を「買う」なんて、まだ、ほとんどの人が理解できないと思う。

2018/01/02 「最新作は最高傑作」キングコング西野 LINEBLOG より




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