3月8日:”吉兆の夜”に、祈れ、遊べよ

昨日、久しぶりに、ネットの画面を開いて、びっくりした。

26日にYouTubeにアップした動画が、2つ合わせて、すごくたくさん再生されていたからだ。

正直、なんとなく覚悟と予想はしていたけど、でも、本当にそうなっているとは思わなかった。

まだ、YouTubeにログインできないので、そちらには、現状をアップすることができない。

でも、たくさんの人が動画を見てくれて、それだけじゃなくて、GOODボタンを押してくれた。
減ると思っていたチャンネル登録者は、なぜか急増した。

そして、Noteの文章も、読んでくれたこと。

めちゃくちゃ嬉しい。

だって・・・!

わたしが、何よりの愛をもって、やってきたことだから。

目に見えていることだけじゃない。

この数字は、わたしにとって、ものすごくあたたかい。


昨日は、ただただ胸がいっぱいになって、家までの道を、ゆっくりと歩いて帰った。



今日は、ヒンドゥー教の、シヴァ神のおまつりの日です。

シヴァ神が、破壊と創造のダンスを踊ったとされる、

吉兆の夜。


約1年前のこの日、わたしは、初めてマントラを唱えた。

偶然なのか、必然なのか。


OM(オーム)


この聖なる響きは、
わたしに、唯一、絶対的なことを教えてくれた。

それは。


音は、いつも、在るということ。


言葉も、かたちも、想いも、
歌すら、消えてなくなるときにも。

音だけは、”在る”のだということ。


一瞬、一瞬、すべてをつらぬいて、
音は、この空間に、存在する。


”無音”ですら、音なのだということ。


音は、存在そのものである。



実は、”空間意識”を言葉にしていくことについて、ひとつ、企んでいることがある。
一歩、一歩、て感じでやっているから、まだ言わないけど。

わたしは、これを、自分だけのよろこびだとは思ってない。


これまで、”存在”を感じられずに生きていた人は、きっと、私だけじゃない。

お金や時間、言葉や、”わたし”でない何かに押しつぶされそうになって、必死に耐えて生きていたのも、わたしだけじゃないはずだ。

わたしは、これまでの人生をとおして、さまざまなかたちで、多くの人びとと出逢ってきた。

そして、その人たちの言葉を、

いや、

音を、聞いてきた。


だから、わかる。


そして、彼らがそこにいたからこそ、わたしは、自分の”存在”を、思い出すことができた。



さぁ、楽しんでいこう。

ひとつずつ、かたちになっていくことを。


どこまでも、わたしのペース。
どこまでも、わたしのリズム。
どこまでも、わたしの感じるままに。

わたしが、創る。



祈れ。


そして、遊べよ・・・!



それでは。

神々とともに、最高の夜を。






あなたという神と、わたしという神へ、ありがとう♡