3月8日:”吉兆の夜”に、祈れ、遊べよ
昨日、久しぶりに、ネットの画面を開いて、びっくりした。
26日にYouTubeにアップした動画が、2つ合わせて、すごくたくさん再生されていたからだ。
正直、なんとなく覚悟と予想はしていたけど、でも、本当にそうなっているとは思わなかった。
まだ、YouTubeにログインできないので、そちらには、現状をアップすることができない。
でも、たくさんの人が動画を見てくれて、それだけじゃなくて、GOODボタンを押してくれた。
減ると思っていたチャンネル登録者は、なぜか急増した。
そして、Noteの文章も、読んでくれたこと。
めちゃくちゃ嬉しい。
だって・・・!
わたしが、何よりの愛をもって、やってきたことだから。
目に見えていることだけじゃない。
この数字は、わたしにとって、ものすごくあたたかい。
昨日は、ただただ胸がいっぱいになって、家までの道を、ゆっくりと歩いて帰った。
★
今日は、ヒンドゥー教の、シヴァ神のおまつりの日です。
シヴァ神が、破壊と創造のダンスを踊ったとされる、
吉兆の夜。
約1年前のこの日、わたしは、初めてマントラを唱えた。
偶然なのか、必然なのか。
OM(オーム)
この聖なる響きは、
わたしに、唯一、絶対的なことを教えてくれた。
それは。
音は、いつも、在るということ。
言葉も、かたちも、想いも、
歌すら、消えてなくなるときにも。
音だけは、”在る”のだということ。
一瞬、一瞬、すべてをつらぬいて、
音は、この空間に、存在する。
”無音”ですら、音なのだということ。
音は、存在そのものである。
☆
実は、”空間意識”を言葉にしていくことについて、ひとつ、企んでいることがある。
一歩、一歩、て感じでやっているから、まだ言わないけど。
わたしは、これを、自分だけのよろこびだとは思ってない。
これまで、”存在”を感じられずに生きていた人は、きっと、私だけじゃない。
お金や時間、言葉や、”わたし”でない何かに押しつぶされそうになって、必死に耐えて生きていたのも、わたしだけじゃないはずだ。
わたしは、これまでの人生をとおして、さまざまなかたちで、多くの人びとと出逢ってきた。
そして、その人たちの言葉を、
いや、
音を、聞いてきた。
だから、わかる。
そして、彼らがそこにいたからこそ、わたしは、自分の”存在”を、思い出すことができた。
さぁ、楽しんでいこう。
ひとつずつ、かたちになっていくことを。
どこまでも、わたしのペース。
どこまでも、わたしのリズム。
どこまでも、わたしの感じるままに。
わたしが、創る。
祈れ。
そして、遊べよ・・・!
それでは。
神々とともに、最高の夜を。
あなたという神と、わたしという神へ、ありがとう♡