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もう、自分のために生きよう〜3月を終えて、なぜか体感したこと

3月は怒涛のごとく過ぎた。


3月末には帰省を控えていたにも関わらず、月初から体調不良。

なかなか長引いて、健康の大切さを身にしみて感じる。

今思い返しても、あんまり記憶がない。

やっとのことで体調が回復し、実家へ帰る。

今回は娘と二人だけの帰省。

飛行機が苦手な私。薬を飲んで搭乗。

娘も飛行機が苦手。

いつもはお父さんに助けられながら乗り切るけれど、今回は二人きり。

何とかCAさんや隣の席の親切な方に助けられて無事に実家へ。

桜が早めで、沖縄とは違う薄いピンク色の桜が見れた!

十数年ぶりかもしれない。


実家は楽しかった。

1年ぶりに娘の成長を見せることもできたし、嬉しかった。

でも大変なことも、イライラすることもあって、結構激しい喧嘩もした。

みんな気を遣いあった結果の疲れから来る喧嘩だったり。

娘と遊園地にも行ったけど、行きの電車が人身事故で止まったり、帰りのバスになかなか乗れなくて、強風と雨の中長いこと待ったり。。。

いつもにはないトラブルもあったりして、嫌な気持ちもたくさん湧いてきた。


とても楽しかった。

でもとても嫌な気持ちも湧き出てきた。

(普段の生活ではなかなか湧いてこない気持ち)

でもなぜかそれが今回の旅で感じるべき感情ということも何となく分かっていた。


久しぶりに、学生時代に習っていたダンスの先生ともお会いできた。

発表会間近ということでリハーサルにお邪魔させていただいた。

あの時のまんまの盛り上がりと元気さ。

先生も。(魔女かと思ったくらい若い)

ダンスが好きで好きで仕方ない、という感じのみんなもすごく素敵で、自分の中にもある、その大切な気持ちを思い出させてくれた。

好きなことやろう!結果や周りの感想なんて関係ない、って本当に思ったなあ。


みんなや自分の体力、気力、気持ちをたくさん持ち寄って、思い出深い時間を過ごすことが出来た。




帰ってきて、3月が過ぎ、4月が来て。

自分の中にほのかな変化を感じた。

論理的に説明できないし、理由もしっかり分からないけど、

生まれてきたのは、

自分の好きなことをやろう

自分のために生きよう

誰に何を思われても、誰とも共有できなくても、

自分が好きで、心が躍って、輝くようなことをしよう


という感情。


誰かと共通の感覚で、手を取り合って、分かり合えなくても、

もうそれはいいんだ、ということ。

誰とも違うんだから、周りの人と分かち合えてるかなんて、

いちいち確かめなくても、もういいんだ、ということ。

心を尽くしても、どうやっても他人の人生に介入することはできない。

そんなことに心や時間を砕かなくてもいいんだということ。

もっと自分のために生きよう、ってこと。



何だか特に、親との関係でそう思ったような気がするなあ。


笑って欲しくて、楽になって欲しくて、たくさん心を尽くしたけど、

だからと言って、自分の望んだ通りの結果になるわけじゃなかった。

一つ解決したら、次の大変なことに目を向けてキツそうにするのは、もう親自身の癖だったりする。

だけど自分の心の中にはまだ小さい頃の自分がいるようで、

「あれ?こんなにやっているのに、お母さんはまだ幸せじゃないの?」という絶望感に打ちのめされる。

こんなにやってるのに何で?!がものすごく出て、その結果ものすごく喧嘩した。

(『お母さんに笑って欲しくて尽くす』という行動は、最近の娘の私に対する健気さと一緒で、
「ああ娘のこの気持ちと一緒なんだ。大人になってもまだこの時のまんまなんだ。」と気付かされた。)


落ち込んだし悲しかったけど、何かの答えのような気がしていた。


もう、親だからといって、自分の思う幸せを切望するのはやめよう。

親だからといって、自分の望む幸せが、親のしたい生き方とは限らないんだ、ということ。

その人の人生があるんだ。

もう諦めよう。

それを深く痛感してしまった。


諦めよう、他の人のことは。


思い知り、手を離す。


ちょっと悲しいけど、やり尽くした。清々しい。


もう、いいんだ。


そう思った。



必要以上に周りとの協調や共有を求めていたここ数年。


たとえば。

みんなから浮かない、変な嫁にならないように。

いい嫁でと思われるように。

娘の学校の親たちから、変に浮かないように。


自分は変だから、浮かないように。


もうやめよう、と思った。

自分らしくいよう。

出来ないことや、したいことを隠すのはやめよう。

その結果周りから浮いちゃったとしても、堂々と浮いていよう。


もう変なんだから、そのままでいよう。


それがきっと個性なんだから。



風邪をひいて身体が弱って、健康なうちにしかやりたいように出来ない、と思ったから?

実家に帰って、身体がきつくてやりたいことも出来ない親を見て、やれるうちにやらないと、と思ったから?

そんな親に笑って欲しくて、あの手この手を尽くしたけど、その人の人生を幸せにできるのはその人しかいないと気づいてしまったから?

自分らしくずっと好きなことでチャレンジし続けて、歳をとってもシャンとして輝きを放っているダンスの先生を見たから?


どれがどう作用したか分からない。

でも、怒涛の3月を経て、

こんな心境になっている4月でした。

娘が集めた桜の花びら



おうちではそら豆がなっていた
ミニトマトも

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