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新卒/部下の教育とコーチング
はじめての新卒指導
こんにちは。ミキリョウです。
自分は、日系大手の広告会社に勤めながらコーチングベンチャーの会社で働き、自身でもコーチングサービスを提供する複業サラリーマンを行っています。
社会人歴は5年目となる27歳なのですが、今年初めて新卒の指導を任せていただくようになりました。
新卒教育というのは本当に難しく、彼らはとても優秀である一方で、スポンジのようになんでも吸収してくれる素直さがあるので、コミュニケーションによってはコンディションを大きく悪化させてしまう危うさもあります。
コーチとしての関わりを意識して向き合った結果、自身の教育担当である新卒の子はここ数ヶ月とても意識とモチベーションを高く保ってくれています。
しかし拠点の他の新卒の中には暗い顔をしてできない思考に陥ってしまっている新卒もいました。
チームで成果を出すために全ての新卒に対して自分は何ができるのか。
この問いを、コーチングスクールに持ち込み行った議論がとても学びなったのでこれを読んでくださっている皆様にもシェアさせていただきます。
RASとスコトーマ
![](https://assets.st-note.com/img/1721448528221-qn4JNg6TtV.png?width=1200)
以前別のnoteにも書いたことがあるのですが、人にはRASという焦点を当てている部分とスコトーマと言われる盲点があります。
今回の「チームで成果を出すために全ての新卒に対して自分は何ができるのか」の問いに対し、スクールのコーチ陣で意見を出し合い議論をおこなっていましたが「それはたしかになんだけどもうやっているんだよなあ」というようなアイデアが多く、現状から抜けていない感覚を持っていました。
問いに対しての意見をもらっても悩みが解決しない感覚。
新卒や部下の教育だけでなく、全ての複雑な悩みや課題について考えるとき、このような現象に陥るケースは多いと思います。
しかし、力のあるコーチと関わると、この自分達のスコトーマに対して目を向けてもらえるため、問いがそもそも書き変わるという感覚に出会えることがあります。
今回の問いに対してがまさにそうでした。
「教育されている新卒ではなくて、新卒と関わっている先輩メンバーのコミュニケーションにエラーはないだろうか」
名探偵コナンで予想外の真犯人が出てきたような、バコーーンとキャップが外れる感覚でした。
教育とは〇〇である。
教育学部で教育を学んでいた自分でしたが、3年生、学びが深くなってきた時期に教育哲学の教授に問われた大きな問いがありました。
「教育とは○○である。ここに入る二字熟語をじぶんなりに考えてみてください。」
今回の事象を通じてここが書きかわった感覚でした。
旧来自分が思っていた教育とはおそらく「肥料」でした。
みんな勝手に伸び伸びやっていけるだろうから、そこに関わる教育とは対象者にとってプラスの観点を与える肥料や養分のようなものであると。
しかし「教育されている新卒ではなくて、新卒と関わっている先輩メンバーのコミュニケーションにエラーはないだろうか」という新たな問いを受け、メンバーと自身を見つめ直す中で感じたのは教育とは「劇薬」であるという答えでした。関わり一つで可能性を潰し、関わり一つで可能性を大いに引き出せる。
だからこうやって教育すればいいんだよ!と大層なことはまだ全然言えませんが、一つだけわかるのは、自分の劇薬が、仲間の劇薬が部下を殺していないか常に俯瞰すること。
これだと思います。
メンバーと互いの教育について細かくフィードフォワードし合う場を設けたことで、今自分のチームは大きく変わり出しています。
問いをずらすプロとの関わりと、教育について模索する自分の体験から皆様に何か少しでもお役に立つ観点がシェアできていれば幸いです。
引き続きnoteで日々の学びを発信していきますので、是非生暖かい目で見守ってくださいませ!
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