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龍頭図講座スタートアップ会のワークの感想✏️


私の7代前幕末ごろまで遡る御先祖様は254人。
誰1人欠けても私は存在していない。
私に関わる254人それぞれの想いが私に託されていて、私の喜びは御先祖様の魂と共有できるそうだ。私がどう生きたかで、『御先祖様のどう生きたか』まで変わる。

様々なドラマの中、生き抜いて命のバトンを繋いでくれた方々に対する供養は私自身がが幸せに生きることだと確信した。
幕末ごろといえば、156年前、戊辰戦争の戦火の会津鶴ヶ城では母方の御先祖ヒサさんが20才ごろ奥女中として御役目を果たしていた。

後に女性でありながら呉服屋を成功させた御先祖様だ。
敗戦後、女性が美しい着物で生きる活力を取り戻すために貢献されたのであろう。
絵理さんの解説中、具体的映像が浮かんで胸が熱くなった🥹。
私が私らしく喜びで満たされることが御先祖達の供養になるなんて。

社会や他人の評価ではない、自分軸の本当の幸せとは…。
生まれた時のホロスコープ の天体の配置には、この世で私が生きるためのツール(絵理さんは種と表現)が詰まっている。それは私が選んでこの世に持って来た。
今はツールを使うどころか、どんなツールを持って来たのかを思い出す段階に立っている。

私の魂は何を目的として生まれてきたのか。
私を生きて、地球で遊ぶ🌏
龍頭図の学びで私の正体が明かされるワクワクが止まらない✨。



私の魂の喜び、つまり魂が望む方向性を明らかにしたい。そして、現段階で、私の魂の器である肉体を直接授けてくれた亡き父について綴ってみようと思った。

こここらは更に自分語りなのでスルーで🙏

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〈絵理ちゃんが語る魂というワードに惹かれる理由〉

2022年年末に父を亡くした後に、魂の存在を確信する事になった。
2023年年明けに、海外在住の妹が、霊媒師を通して父からメッセージをもらったと興奮気味に連絡をしてきた。
霊媒師は父の生前の情報は知らない。

亡くなったばかりの魂は、メッセージを上手く伝える術を知らない。肉体を離れて3ヶ月後位になると伝え方が上達してメッセージがクリアになるらしい。

ただ、父の場合は、霊媒師曰く「エネルギーが凄く強い魂で、とにかくメッセージをこちらに伝えようとトライしてくる。凄いエネルギー!!」それだけで、父であることは間違いないと感じた。

そして試行錯誤で果敢に伝えようとする父らしい姿を想像して笑ってしまった。
大学時代にワンゲルサークルを創設して、高齢になるまで登山を楽しみ、自然を尊び、車は環境破壊の道具として運転免許を持たずに鉄道と足を使って移動していた。

しかし晩年は、家族にも隠していたが、相当膝の痛みが強かったようだ。
あちらでは、活動的な父が、今は痛みから解放され、行きたいところに軽やかに移動できる喜びを伝えてきた。

霊媒師は父が何度も伝えてくる「9」の意味がわからないと言ったそうだが、ベートーヴェンの「第九」の事だとピンと来た。

第九は父が残した葬送曲のリクエストにも含まれていた。
流石に葬儀に「喜びの歌」はどうかと却下し、他の曲で見送ったが、今、父がいる世界は、第九合唱シラーの歌詞をまさに体現していると伝えたいのだろうと理解した。

今、軽やかに行きたい所にすぐに移動し、会えなかった人とすぐに会えるのが楽しいのだとか。
また、あちらの世で沢山の人を助けなくてはいけないので、これから忙しくなるのだそう。

私達家族をあちらで出迎えたとき、私達に胸を張って功績を語れるように、今、どんどん人助けをしていると。
まさに父らしい言葉に涙が流れた。

そして、現世の狂った社会の仕組みのみならず、肉体を離れた先のことまで教えてくれる父に感謝した。

父の友人からは、生まれて来る時代を間違えたと言われていた。

私が子どもの頃、転居に伴う家の売却査定内容で父と担当者が揉めた😓。

10年以上住んだ家の査定がほぼ0で、土地の値段のみ。という世間の常識的内容に父が納得できないと。

我が家族が暮らして来たこの家に価値が無いとは何事か!そして、土地は人間の物ではなく神のものだ💢
面倒な父の相手となってしまった担当者様は、金額はそのままで、土地の値段ではなく、家の値段として提示して下さったそう。

小学生であった当時の私も、柔軟に対応して下さった担当者様に感謝した。

現代社会では縄文スピリット炸裂のやっかいな父。
1〜2才の私に建売住宅の公募のくじ引きを任せて購入権を得た家と、それから10年以上笑いに溢れた我が家族の営みの居住空間に価値をつけろ!という父の思想は、今ではほっこりする思い出でもある☺️。

自由人であった父の葬儀で、大学時代のワンゲル仲間からの手紙の内容に胸が熱くなった。
あなたは「疑うことなく真の善人でした。」と。
真の善人とは なんだろう…。
真っ直ぐな父は、敵に回す人も多かった。きっと純粋だから勘も鋭い。真を突かれた人は、批判や言い訳で保身して離れて行く。

後期高齢者となっても認知症とは無縁で、流行り病の注射は端から批判して打たなかった。
今だけ金だけ自分だけの社会の膿出しが始まり、時代の流れが変わりそうな風を感じる。
この先の未来を父が生きていたなら…と思う。

私は父譲りの自分軸は持ちつつも、調和をはかれる知恵を身につけて、この世を体験したい🌏。

父のとんでもエピソードは尽きないが、今回改めて回想したことである。

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